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プロフィール

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はじめまして、シゲです。

 

インターネットビジネスに参入して17年以上、47歳の”ちょっと普通じゃない”オジサンです。

 

まず、「インターネットビジネス」「歴17年以上」なんて聞くと、

 

ー 若くして成功し、今や“億り人”になって悠々自適の生活を送っている人 ー

 

こんなイメージを抱くかもしれません。

 

しかし、これからアナタにお伝えしていくのは、
それとは『真逆』

・虚弱体質・不安神経症・コミュ障・適応障害… 生まれながらにしてハンデを背負い
・不登校・社会不適合者の烙印を押され、普通に働くことができなくなり追い込まれ
・ネットビジネスで 1年半収入ゼロ→月収150万円・累計2500万円に成り上がるも
・1,000万円超の借金・損失を抱え、再び転落・・・

インターネットビジネスにとどまらず「人生レベルで」天国と地獄を経験し、
それでも何度も何度も這い上がってきた男の、『リアル』です。

 

特に『お金』について・・・
僕は経験上、その「素晴らしさ」と「怖さ」を誰よりも良く知っています。
『お金の苦労』は、人を「疲弊」させ「破滅」へと追いやります。

 

だからアナタには、

・僕のようなムダな遠回りをして欲しくない
・まっすぐ最短ルートで経済的成功を収めて欲しい
・そして、愛する人達とともに 有意義な時間を過ごして欲しい

この一心で このブログを立ち上げました。

 

ここまでお伝えして、
「”ちょっと普通じゃない”の意味」

『綺麗事を並べた成功者の自慢話ではない』ということを、

何となく感じていただけたのではないでしょうか?

 

もしアナタが今、過去の僕と同じような状況に置かれているとしたら、
このまま読み進めてみてください。
必ずや、お役に立てます!

 

このブログでは、
このような経験をしてきた僕だからこそお伝えできる

リアルな情報本当に大切なこと
そして、何よりも、

『この状況からどうやって成功を手にしたのか?』

「インターネットビジネス成功の秘訣」を発信しています。

 

ではまず、”ちょっと普通じゃないオジサン”僕シゲが、
「どんな人生を歩んできてどんな人間なのか」自己紹介をしますので、
付き合ってくれたら嬉しいです!

 

虚弱体質 不安神経症 コミュ障 適応障害、不登校… 生まれながらにして「ハンデ」を背負い 「社会不適合者」の烙印を押され 奈落の底に突き落とされた男が、インターネットビジネスに出会うまで

1977年。
新潟県の 山と田んぼに囲まれた とある片田舎で、
祖父母と父母・妹の6人家族の長男として生まれました。

 

いわゆる”団塊ジュニア世代”、戦後 男子が尊重される時代背景の名残りと、
母が妊娠中吐血しつわりに負け 虚弱体質に生まれついたのが手伝い、
とても大事に育てられました。

 

父は この年に食品包装資材の卸売の会社を立ち上げ、
母はそこで事務員として働いていました。

 

祖父も会社勤めをしていたので、幼少期は祖母と一緒に過ごすことが多かったです。

その「祖母」が、のちに僕の人生に「大きな影響」を与えることになります。

 

祖母は「不安神経症」という精神疾患をもっていました。
過剰な不安や恐怖が、日常生活に支障をきたす病気です。
(主に、・集中力の低下・睡眠障害・疲労感・イライラなどがあり、息苦しさ・動悸・めまい・吐き気などの身体症状を伴うこともあります。
原因はストレス、疲労、脳内の神経伝達物質のバランスの乱れなどが複合的に関わっているようです。)

 

当時は、特に目立った症状がなければ医者にかかることもなく、不安神経症などとはっきりとした病名がつくこともありませんでした。
そのため、周りの人は 祖母に関して「異常な心配症でオーバーな人」くらいの感覚で接していました。

 

日常でどのような状態になるのかというと、例えば…

・異常な寒がりで、家の中でストーブやコタツで十分暖かいのに、「これでは寒い、風邪をひく!」と、通常の子供着のうえに2重3重に服を着させる。
・「骨が喉に刺さったら危ない」と、魚を食べさせない。(給食で魚が出ることを知り 学校に電話してきたことも)
・「外に出たら車やバイクで事故にあうかもしれないから、危ない!」と、外へ出ようとすると家の中に連れ戻す。

 

幼少期にこのような祖母とほとんどの時間を過ごしたことで、
「三つ子の魂百まで」(3歳までに身についた性格や気質は、100歳になっても変わらないという意味のことわざ)
僕の精神や性格の「型」が出来上がったのです。

 

ひとりで折り紙・粘土・おもちゃで遊び、
外で遊ぶのはせいぜい庭で三輪車に乗ったり水遊びをしたりするくらいで、
とにかく家の敷地内に居ました。

 

家族だけが人間世界のすべてであり、
たまに遊びにくる近所の人や親戚・いとこと接してもどうしていいからず、緊張して「怖い」と感じたのをよく覚えています。

 

輪の中に入れず、ただただ傍から見ていました。
そんな僕のことを、村の人達は「お坊ちゃま(過保護な子)」と揶揄するようになりました。

 

見かねた母が祖母を説得し、まずは徐々に家から外へ出し遊ばせようとしました。

しかし、狭い村なのに僕のことを知らない人が居て、
”キミは誰、どこの家の子?”と言われたり、
子どもたちが遊んでいる輪の中に入ろうとしても
”お前なんか知らない、一緒に遊んでやんないよ!”と、無視され いじめられるようになりました。

 

この体験でショックを受けトラウマになり、
祖母に言われ続けてきた「外は危ない」という言葉が「本当のこと」として意識に刻み込まれたと思います。

 

以降、これまで以上に 外に出ることや人と関わることが怖くなり、再び家の中にこもるようになりました。

”でも、みんなと一緒に遊びたい・友達が欲しい…”
外で楽しそうに遊んでいる子たちを羨ましく思い、窓からずっと見ていました。

⇒ 詳しくは、メルマガ登録後の「虚弱体質 不安神経症 コミュ障 適応障害、不登校… 生まれながらにして「ハンデ」を背負い 「社会不適合者」の烙印を押され 奈落の底に突き落とされた男が、インターネットビジネスに出会うまで」無料レポートで、赤裸々に公開しています。(準備中)

 


 

小学生となり、不安だらけの集団生活がはじまりました。

しかし 登校初日からさっそく、僕の「欠点」が発出することになります。

・先生の話が理解できない
・どうやって友達をつくればいいかわからない

ただただ席に座っているだけでした。

 

そして、時間が経つにつれ、

・友達ができない
・集団生活についていけない(いつも遅れをとっている)
・チームでやるスポーツ(野球・サッカー・バスケットボールなど)で 「ルールが理解できない」「自分の出番や大事な場面で頭が真っ白になり何もできなくなる」


学校生活に支障をきたす場面が多発。

 

自分でも「みんなと何かが違う」と自覚し、違和感を持ち始めたのです。

そんな僕は また、イジメられました。

 

こうして苦しく辛い学校生活がはじまりましたが、
その後もその状態は続き、否定的な自己イメージは日毎に強化されていきました。

 

そのストレスのためか、
祖母から影響を受けた あの「不安神経症」の症状が出始めた頃でした。

・多汗症(身体がこわばり冷たくなり緊張し手足から発汗する)
・睡眠時の歯ぎしりや寝言、おしっこのおもらし

また、この頃ある理由から始まった「親の夫婦ゲンカ」も、体調悪化の原因となりました。

僕は 精神的に逃げ場が無くなり、ストレスを抱えるようになっていきました。

 

―そして、小学校4年生の時、
父が経営する会社の新社屋を同じエリアの開けた町に建てたことで、
転校することになりました。

 

その転校先でも、

・ものごとの理解が遅い
・集団行動についていけない
・友達ができない

特に
「集団の中で何か大事な役割を課されると、頭の中が真っ白になり何もできない」
という状態が頻発しました。

 

例えば、

・授業中当てられても、答えは分かっているのに頭が真っ白になり答えられない
・バスケットボールで ゴールネットの近くでボールをパスされても、頭が真っ白になりフリーズしてしまい、何もできなくなる
・休み時間にトランプなどのカードゲームをやっても、そもそもルールが理解できずトンチンカンなことをしてヒンシュクを買う

5年生になった頃には、
生徒だけでなく先生からも「変わった子」として好奇な目で見られ、イジメられるようになりました。

通信簿には”いつもボーっとしていて人の話を聞いていないように見えます。もう少し話をよく聞き、自分から積極的に人の輪に入っていくようにしましょう”
と書かれました。

 

確かに周囲から見れば、「イジメられても仕方ない子」かも知れません。

でも、家庭環境や色んなことで 自分ではどうしようも出来ない事でした。

 

心の中で
”この苦しみを誰かに聞いてもらいたい 理解してもらいたい”
”誰か助けて…!”
と叫んでいました。

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劣等感とトラウマを抱えたまま 中学生になりましたが、
幸いなことに、少しずつですが 状況が開けていきました。

 

学区が広がり隣町の小学校の生徒も合流したことで、
これまでとは違う多様な価値観を持つ生徒が集まっており、
僕に声をかけてくれる気さくな子が居ました。

 

このことがきっかけで、張り詰めていた心が 少しずつ解きほぐれていきました。

「生まれて初めて、友達ができた―」
暖かい陽が差し込み 喜びに満たされていく感覚でした。

 

一番大きかったのは、
性格特性・欠点を「ユニークなもの」として捉え接してくれたことです。
”お前、面白いな”と、「面白い」と言ってくれた友達がいたのです。

たったこれだけのことでしたが、自分自身を取り戻せたのです。
こうして、ようやく「普通の学校生活」を送れるようになりました。

 

勉強に部活に励み、欲もでてきました。
そして、「市内トップクラスの進学校に行く」という明確な目標ができました。
勉強に目覚め、そこから学年でも常にトップクラスの成績を出すようになりました。

 

結果、努力の甲斐あって市内No.2の進学校に進学することになったのです。
生まれて初めて、”苦しみを乗り越えた、自分に打ち勝った!”こう思えた瞬間でした。

 


 

楽しかった中学校生活。
人生で初めて 明確な目標を掲げ努力し自らの手でつかんだ、「成功」。
高校でも 「キラキラした青春」を謳歌するはずでしたが…

 

喜びも束の間、悲劇の3年間の始まりとなるのでした…

 

まず、校風が自分に合わなかったこと。

 

登校初日。

門をくぐり足を踏み入れた瞬間、何か冷たく殺伐とした空気を感じ、

直感的に”ここではうまくやっていけない…”と思ったのです。

 

同時に、

”また あの頃の自分に逆戻りしてしまうのではないか…”

 

不安と恐怖に襲われました。

そして、決定的な出来事が…

 

クラスメイトから

「お前、あの子と話しているとき顔が赤くなってたよな。 あの子のこと好きなの?」

と言われたことです。

 

思春期ということもあったのでしょうか、

何故か 人と面を向かって話すと顔が赤くなる「赤面症」になったのです。

 

自分でも気づかなかったのですが、そのように言われ意識し始めると、ますます赤くなり、

そのうち 男子と顔を合わせても赤くなってしまい、

そのうち「ホモ」「オカマ」と陰口、からかわれるようになりました。

(今では使ってはいけない言葉です。)

 

そして、次第に皆 僕を避けるようになり、

気づいた時には 周りから誰も居なくなっていました。

 

こうなるともう、意識しすぎて人の顔を見ることができなくなり、

授業中 先生と目が合っても顔が赤くなるので、前を向いて黒板を見るのも苦痛な状態となり、

「寝てるのか? 前を向け!」と注意されるようになりました。

こうして 常に下を向くようになってしまいました。

 

・「赤面症でいつもうつむいていて陰が薄い…」

 

こんな僕に声をかけてくれるクラスメイトは、誰一人としていませんでした。

 

担任の先生でさえ、そうでした。

事なかれ主義で、面倒なことには関わらない ドライな人でした。

勇気を振り絞って 一度だけ相談しに行きましたが、

「原因はお前にもあるんじゃないか、頑張ってみろ」とだけ言われ、

早々と切り上げられました。

 

親に相談しようにも、相変わらず続く夫婦ゲンカや家庭不和、仕事で多忙な状況のなか

「心配をかけたくない」、そして「僕への期待感に水を差したくない」と思いで、

言い出せませんでした。

 

こうして、赤面症からはじまるこの一連の出来事が引き金となり

幼少期の家庭環境やトラウマ、そして持病などすべての負の要素がつながり「大きな流れ」となり、

再び「過去の自分」に引き戻されたのです。

 

周りの生徒たちは冷たく、先生は腫物に触るように僕を避けました。

 

ついには、

赤面症だけでなく 自分の席に座っているだけで息苦しくなり冷や汗をかき、不安と恐怖を感じるようになりました。

そのうち 意識は遠のき「頭が真っ白になる」、また「あの時」の症状が再発しました。

 

皆からの刺すような冷たい視線が 同調圧力のように感じ、

お昼になると 弁当をもって 逃げるように人目につかない暗い階段やトイレに駆け込み、

呼吸を落ち着かせていました。

 

家庭不和のなか多忙を極め多大なストレスを抱える母が、

毎日毎日朝早く起きて つくってくれた弁当。

 

「お母さんごめん、うまくやれないよ。 でもどうしようもないんだ。もうダメかも…」

毎日泣いていました。

 

・「誰も友達がいない―」

・「先生に相談しても助けてくれない―」

 

『どう抗っても変えることができない、見えない力に流される感覚―』

本当にもう、どうしようもありませんでした。

 

そんなある日…

いつものように家を出て電車に乗り駅に着き 高校へ向かおうとしましたが

近づくにつれて身体の感覚が失われていき、

顔が青ざめ 冷や汗が吹き出し、その場から動けなくなりました。

 

『うっ 何だ?・・・』

 

幸いにも近くを歩いていた 見知らぬおばさんが声をかけてくれ

「すぐにお医者さんに診てもらいなさい」と、すぐにタクシーを呼びお医者さんの紹介まで手配してくれました。

 

診断の結果は、『適応障害』というものでした。

(ストレス障害で、精神的・身体的な症状が出現し、社会生活に支障をきたす状態をいいます。 ストレスの原因から離れると症状が改善することが多いですが、悪化すると日常生活が困難に。

主な症状:抑うつ気分、不安といった情緒面の症状や不眠・過食・動悸など)

 

この頃はまだ一般的に知られていない病気でした。

 

この出来事で、母は 僕の状態・病気を知ることになりました。

「気づかなくてごめん。そんなことになっていたなんて…」

ひどく狼狽し泣き崩れていました…

 

「大丈夫、たまたま疲れが溜まっていたからだと思うよ。 少し休めばすぐに良くなるよ。」

「適応障害なんて大袈裟な… 大丈夫、高校では楽しくやってるから。」

 

精一杯の言葉でした。

 

そして、僕自身 この診断結果を、受け止められずにいました。

そんな中、疲れ切った母の姿を目の前にして、

「高校で何があったのか」告白することなど、とてもできませんでした。

 

そして僕は、「僕とお母さんの間だけの話にして欲しい」とお願いしました。

祖父母が知れば、また 母のせいにされ、

嫁いびりがエスカレートすることがわかっていたからです。

 

医師の指導で一日だけ休みましたが、

「どうしよう 行きたくない… また同じ症状が出たら…」

不安に襲われ 意識が遠のき、考える余裕さえ無くなっていました。

 

それでも翌日、いつものように振る舞い 家を出て高校に向かいました。

やはり、家族のこと 特に母のことを考えると、行かないわけにはいかなかったからです。

 

しかし…

家から少し離れたところで気が抜けたのか、今度は 電車に乗っている途中で息苦しくなりました。

高校までは3駅なので 何とか我慢し、ようやく降り立ちました。

でももう限界で、人流をかきわけベンチに倒れ込みました。

 

・・・

 

”ポーン ポーン ポーン・・・”

 

「ん・・・?」

 

駅の誘導サインの音で、我に返りました。

 

着いてから1時間以上が過ぎていました。

 

周りを見渡すと、

居るのは、ただ ホームのベンチに座っている僕だけでした。

・・・

 

この日を境に、

家族の前では平静を装っていましたが、高校へは行かなくなっていたと思います。

 

行くフリをして公園や町をさまよい歩き、夕方定時の電車にのり何事も無かったかのように帰宅する…

ある時は、学校へ行かず街をうろついている他校の不良生徒に絡まれ”カツアゲ”されたこともありました…

帰る電車賃さえ無くなって、母に駅まで迎えにきてもらい…

もう、最悪でした。

 

18歳。

僕は、まさに『どん底』の只中にいました。

 

この時にはもう、何があっても何も感じず、ただただ虚ろな意識でいたと思います…

どう過ごしていたのか、よく覚えていません…

 

ただ、部活や課外活動は何もしていなかったので、授業が終わるとすぐ帰宅していたのが幸いだったと思います。

この頃、祖母が体調を崩し病院通いをするようになり 朝からおらず、日中家に誰もいないことが多かくなりました。

なので、僕にとっては 高校に行っていないことがバレない状況でした。

 

しかも、えらいもので、無断欠席をしても学校から何の連絡もありませんでした。

 

今思うと、担任の無関心さと冷たさに呆れてしまうし、

もはやクラスの皆からも「いないもの」として扱われていたんだろうと思い、

苦笑いしてしまいます…

 

そんな中でも 僕は、家族の前では「全ては順調だ」と平静を装い 強いて明るく振る舞っていました。

とにかく、皆の期待感を無くしたくなかったからです。

あとひとつ、僕を生につなぎとめていたものがありました。

 

「大学進学」です。

 

これだけは、必ず成し遂げたい夢でした。

唯一の希望でした。

 

ただ、この登校できない状態が続いたツケで、3年生中盤からは 卒業がピンチになりました。

 

「それだけは、何が何でも避けなければ…」 我に返り、

適応障害で登校すらできない苦しみと 「大学進学」という唯一・最後の希望との葛藤の中、

何とか その「希望」が勝ち、僕を振るい立たせました。

 

長く続いた登校不可能な日々から 再び奮起して登校しようとした日。

案の定 適応障害の症状が表れました。

 

それでも何とか這いつくばって学校に辿り着けたのは、

「家族の期待を裏切ることはできない」という思いと、「大学進学の夢」が僕を支えていたからです。

 

教室に入った瞬間、少しざわついた後 あの皆の冷たい目線が僕を襲いました。

僕の席は 落書きがされ 物置きになっていました。

「ひどい…」 流れそうになる涙をグッとこらえ、黙って片付けました。

 

担任も相変わらずで、

僕の顔を見ようともせず 何事も無かったように授業を始めました。

 

僕は、この状況を必死で耐え抜きました。

 

適応障害の症状に苦しむ中、最後の力を振り絞って登校し授業を受け続けました。

 

そして、必要最低出席日数と単位を取得し、卒業。

 

ここから 周囲の生徒は当然のことながら大学受験に臨みますが、

僕は とてもそんな余裕はありませんでした。

 

高校を卒業することが精一杯でした。

全ての力を使い果たしていました。

 

でも僕は、自分で自分を誉めてやりました。

『よくやった。 本当に頑張った…』

『持病をもって再び登校するだけでも大変なのに、よくもまぁ卒業できたよ!』

 

今振り返ってみても、本当によく頑張ったと思います。

 

一方で、こんなことを思います。

『人生には「どう抗っても 自分の力ではどうしようもない流れ」というものがある』

 

僕は、高校生という多感な時期に、それを体験しました。

本当にもう、どうしようもありませんでした。

 

「目の前で血のひとつでも流してみせなければ、他人の痛みなんて分からないし分かろうともしない―」

「人間なんてそんなものなのだ」と、変に悟ってしまった出来事でした。

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ここまで 僕のルーツ・育ち、どのように人間性・性格特性が形成されていったのかを、

ご紹介しました。

・過保護や家庭不和が、祖母から影響を受けた不安神経症を助長し、赤面症からはじまるコミュニケーション障害 そして、適応障害を引き起こすことになった。

・三つ子の魂百まで― 「幼少期 物心つくまで多くの時間を共にした祖母の存在が、大きく影響している。

この「ハンデ」を背負い、その後も 苦しい紆余曲折の人生を歩むことになるのでした…

 



 

高校卒業後、幸いにも希望のランクの大学に合格・入学することができましたが、

「働いて、また あの持病が出てしまったら…」と思うと

お金を稼ぎたくてもアルバイトをする勇気が出ませんでした。

 

現実逃避と自堕落な生活が延々と続き、3年生も後半に差し掛かったある日、

「就職」について、父から電話が入りました。

 

気弱で口下手な僕は、口がうまく強引な父の説得に丸め込まれる形になり、

主要取引先である 埼玉の食品パッケージメーカーに就職させられることになったのです。

 

そもそもまったく興味が無い業種で、

入社後も「学生気分が抜けない」「ヤル気がない」、

ただ座って「指示待ち」の状態でした。

 

それから1ヶ月が経過した頃、

見かねた上司Mさんから呼び出されました。

 

そこで、こうアドバイスされました。

 

「ヤル気が起こらなくても まずは、目の前のことを一生懸命やってみろ。

どうやったらもっと早くできるか・質を上げていけるか”発想が出てくるようになる。

そうすればしめたもんだ。

仕事はもうキミのものとなり、面白くなってくる。」

 

このMさんのアドバイスにより、仕事の取り組みに変化が生まれました。

 

そんなある日、

トイレに行こうと 途中にある休憩所を通りかかった時、

社員同士の会話が耳に入ってきました。

・「アイツ、何なの? 親のコネでここに来たんだか知らねえけど、ヤル気無さすぎだろ。 仕事何だと思ってんだよ。目障りだよな。」

・「わかる。仕事やらせたってミスが多いし全然ダメだよな。」

・「社会不適合者・世間知らずのポンコツボンボンってか? ハハハ」

・「どうやったら、辞めてくれるんだろ」

Mさんからもらった言葉でようやくヤル気になった僕の気持ちは、

一瞬で折れてしまいました。

・世間知らずのポンコツボンボン…

・社会不適合者…

 

帰宅後も、陰口がループし頭から離れませんでした。

 

そのうち、ふっと「過去の記憶」が走馬灯のようにフラッシュバックしました。

そして次の瞬間、身体と心がフリーズして、頭が真っ白になりました。

 

『あっ これって・・・』

 

一瞬で、全てを悟りました。

 

「いや… そんなことはない!」

 

意識の底に沈んでいた記憶が、再び頭をもたげ 僕を襲ったことに、

動揺し、

すぐには 受け入れることができませんでした。

 

翌朝、目覚めても意識は定まらない状態のまま、

しかしそれを振り切るように 会社に向かいました。

 

そして、

いつものように通用口を抜け階段を上がり、2Fフロアのドアを開けた瞬間…

 

『うっ・・・』

 

気が付くと、僕は病院のベッドの上にいました。

 

そばに上司Mさんと同僚が付き添ってくれていて、その時の状況を教えてくれました。

 

僕の姿が見えたと思ったら”ドタッ”と鈍い音が聞こえ、ドアのところで倒れていたそうです。

居合わせた社員の悲鳴が聞こえ、すぐに救急車を呼んだ、

とのことでした。

 

主治医は…

「適応障害というのは 患者さんによって程度の差・色々な症状の出方がありますが、あなたの場合はちょっと重症ですね…」

 

そして、こう分析・指摘されました。

「根本的な原因のひとつとして主なものは、仰るように家庭環境 特におばあさんに起因する不安神経症でしょう。」

「そこに幼少期のトラウマなどが合わさって、あなたの症状が出ていると見受けられます。」

「そして、改善するには、ある特定の条件や場面での反応 要はパターン化していますので、そこに対しての専門的な治療が必要になります。」

 

続けて訊きました。

「…治るものなのでしょうか?」

 

「そうですね・・・ ある程度改善はできますが、完治は難しいと思います。」

 

退院し 社員寮に戻った僕は、

ベッドの上で、今日起こったこと・これまでの人生の色々なことを考えました。

 

そして、『これからどうするのか』―

答えは出ていました。

 

というより、他の選択肢を絶たれた状態でした。

 

『俺は、社会人としてやっていける人間ではない…』

『社会不適合者だ…』

 

ほどなくして僕は、

Mさんを通して部長に事の経緯・状況説明と今後どうしたいのか、

気持ちを伝えました。

 

そして、父にもその旨を伝えました。

 

「悪かった… お前を後継者にしたいという頭ばかりで、お前の気持ちなど無視してしまっていた。

そんな病気で長年苦しんでいたとは知らなかった…

とりあえず新潟に戻ってこい。 今後のことはゆっくり休んでから考えればいい。

 

こうして、僕の新卒社会人生活は、

わずか「3カ月余り」という短い期間をもって 終了することとなりました。

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「適応障害という病気と、これからどう付き合っていくか―」

 

医師から「完治するのは難しい」と言い渡され、

気持ちの整理がつかないまま、

ひとまず 新潟に帰郷することになりました。

 

「何か社会との接点を持ちたい」 「お金を稼ぎたい」―

気持ちの焦りもあり、

まずは アルバイトをしてみようと思いました。

 

ただ、医師からは

・持病への理解があり受け入れてくれる

・なるべく人と関わる必要がない

・簡単な仕事からはじめる

このような基準で仕事を決める必要があること、

 

そして、

・病気改善のアプローチには色々あるが、実践で耐性を上げていくことが重要であること

・様子を見ながら(無理をせず)段階的に耐性レベルを上げていくこと

このように指導を受けました。

 

これを受け、

・家電機器メーカー工場での組み立て作業(2年間)

・食品加工会社工場での袋詰め作業など(1年間)

・大手英会話教室での電話オペレーション(2年間)

と、少しずつできる仕事の範囲を広げていきました。

 

すると、大きな症状が出ることもなく 少しずつ耐性がついていきました。

 

しかし一方で、少ない給料を手にする度、現実を突きつけられました。

「大卒なのに… ”人並みに稼ぐ”というレベルにすら達していない…」

「やはり、普通に働いて生きていくのは無理なのか…」

「じゃあ これからどうする…?」

 

年齢的にも 30歳を目前にして、焦っていました。

 

しかも、学生時代から付き合っている彼女とも、

ケジメをつけなければならない時期でした。

 

彼女は、看護師をしており、

持病のことに対して誰よりも深く理解してくれ、色んな事情を呑み込んでくれていました。

 

そんな彼女が「それでも僕と一緒になりたい」と思ってくれていることに対して、

「頑張らなければ」という気持ちが強くあり、

その思いが 僕をつなぎとめていました。

 

そこで僕は、父に「働かせてもらえないか」お願いし、

何とか正社員として雇ってもらえることになりました。

 

「アルバイトで耐性もついた」

「何とか、できるだろう。 やるしかない―」

 

会社員としての再スタート。

 

父が 働きやすい環境を整えてくれたこと、

そして 僕自身アルバイトで耐性を高めていた努力の甲斐あって、

特に大きな持病の症状が出ることもなく順調に業務をこなしていました。

 

しかし…

3か月が過ぎた初めての冬の繁忙期に、事件は起きました。

 

いつものように 夕方の配送積み込みの時間となり1Fの商品倉庫で荷造りの作業をしていました。

中には何段にも積まれた高所の段ボールから取り出す必要のある商品もあり、

この日も脚立を使って取り出そうとしました。

 

…と、次の瞬間。

 

『うっ・・・』

 

・・・

 

気が付くと、僕は病院のベッドの上にいました。

 

左鎖骨骨折、全治3か月のケガを負ったのです。

 

「また、あの時と同じことが・・・」

 

しばらく明確な症状としては発症していなかった、「適応障害」。

 

冬の繁忙期ということで 連日夜遅くまでやっていた 疲労の蓄積が原因だと、

自分ですぐにわかりました。

 

しかし・・・

 

この時だけは、本当にショックでした。

 

医師の指導のもと、アルバイトで何とか耐性を高める努力をし

懸命に積み上げてきた大事なものすべてが、

一瞬のうちに打ち砕かれた思いでした。

 

2週間が経過した頃、父が見舞いに訪れ、

しばらく雑談をしたあと、こう切り出しました。

 

「お前の今の状態では、これまで通り通常業務に戻るのは危険だ。」

「社内でも疑問の声が出ていてな。」

「ハッキリ言うが、今後も仕事を続けたいというのであれば、仕事内容を縮小して“アルバイト”としてやってくれないか。」

「幹部たちも”それならいいですよ”と言ってくれている。 それが条件だ。」

 

「俺が社長としてお前にできることは、これが限界だ。 どうしたいか、考えてみてくれ。」

 

『あぁ・・・』

『自分の親の会社でもうまくやれないとは・・・』

 

決定的に、

『ダメ人間』 『社会不適合者』の烙印を押されたようでした・・・

 

 

茫然自失とした状態で窓の外を眺めていた ある日、携帯電話が鳴りました。

 

「ん… 八木さん?」

大学時代の先輩で、

映画サークルで知り合い、ずっと慕っていた人でした。

 

「久しぶりだな、元気してる?」

 

「今度仕事で新潟に行くんだけど、会わない?」

 

これまでの積もる話をした後、

僕は 抱えてきた苦悩を打ち明けました。

 

「そうか… 大変だったんだな。」

 

そして、八木さんは、最後にこうアドバイスをくれました。

 

「何か 話聞いてて思ったんだけど、インターネットで何か販売してみたら?」

「お父さんの会社の取引先とかで、新潟の名産品取り扱っているところある?」

 

『ピンとくる』― 久しぶりにこの感覚がありました。

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追い込まれてインターネットビジネスに参入。 1年半報酬ゼロ→最高月収150万円・トータル2,500万円超を達成するも、借金・損失1000万超で「人生終了」の瀬戸際に…
人生初のインターネットビジネス参入。 結果は…

”インターネットで新潟の名産品を販売してみたら?”

この八木さんの一言・アドバイスがきっかけで、僕の視界は一気に晴れました。

 

携帯を取り出し、『インターネットビジネス』について調べてみました。

 

そこで目にしたのは…

・サラリーマンがネットビジネスで副収入30万円ゲット

・アパレルショップがネット通販を取り入れ売上が3倍に

・りんご農家がネット通販を取り入れ売上倍増、メディアからの取材依頼も殺到

自分が実際やるとしたら…

・PC1台あれば一人でできる

・持病と付き合いながら自分のペースでやれる

・うまくいけば、可能性は未知数

『すごい・・・ これだ!』

 

高揚感とひらめきだけで、

「退院したら、社長(父)に提案しよう」と思い立ちました。

 

「さて、何を販売しようかー?」

 

考えていると、取引先である米農家「サカキさん(※都合により仮名)」のことが思い当たりました。

社長と長年懇意にしており、僕も一度 実際に合って話を伺ったことがありました。

・日本屈指のブランド米「南魚沼産コシヒカリ」をつくる米職人

・講演やメディア出演したこともある有名人

 

この勢いで、また八木さんに電話し、

“具体的にどうしたらいいか?” 聞きました。

 

「まず、楽天市場でネット販売してみたら?」

「ある程度売ったら、自社サイトに移行して本格的に売っていったらいいよ」

「俺もある程度のことはわかるから、何かあれば教えるよ」

 

すぐに いただいたアドバイスをもとに構想を練り、

退院後、事業計画書を作り 社長に相談・提案することを試みました。

 

ただ、このシビアな状況の中で、

当然反対されるであろうことは覚悟していました。

 

そして…

 

「まず、何とか無事に退院できました。 そしてお騒がせしたこと、すいませんでした。

「それで、早々ではありますが、ちょっと相談したいことがあって。」

 

「ん、何だ? 言ってみろ。」

 

僕は 続けました。

 

「やってみたい仕事があるんです。」

「単刀直入に言うと、インターネットを使って、新潟の名産品を販売したいんです。」

 

「インターネット? 名産品販売?」

 

「詳しくは…」

 

僕は ここで、したためておいた事業計画書を見せました。

「…そうか、面白そうじゃないか。」

 

想定していたものとは違い、

少し身を乗り出しポジティブな反応を見せた社長に呼応するように、

僕は懸命にプレゼンテーションしました。

 

「そうか、入院中お前はこんなことを考えていたのか。 素晴らしいアイデアじゃないか。」

「確かに これからはインターネットも使っていかないとな。」

「それにしても お前、何があったか知らないが 相当熱が入っているな。目が違うぞ。」

 

こうして 一通りプレゼンが済んだ後、

父はふっと表情を戻し こう続けました。

 

「ただ…」

「入院中にも言ったように、今後もここで働きたいとなれば、正社員としては難しい。」

「その中でこれをやるとなると、相当な反発が出ることは、目に見えている。」

「それでも、本気でやりたいと思うか?」

 

僕は 答えました。

 

「はい、もちろん本気です!」

 

 

「… 俺のほうで何とか最大限やってみるが、期待はするな。」

 

 

―そして、数日後。

 

社長に呼ばれ、言葉を待ちました。

 

 

「お前のそのインターネット事業、やってみろ。」

 

 

「は、はい・・・」

 

先のプレゼンでは、手応えと同時に どこかで

「でも、やらせてもらえないだろう…」と諦めていたところに、

この回答でした。

 

驚きの中、社長は続けました。

 

「正社員のまま この仕事ができるように、うまく説得したよ。」

「思っていた通り反発があったが、以外にもひとりの幹部から、”これからの新しい販売チャンネルとして開設する必要がある”と力説されてな。

”そのきっかけと道筋を 作って欲しい”ということだ。」

 

「ただし… 条件がある。」

 

言葉を受け止める準備はできていました。

 

 

「一年以内に売上100万円を達成できなければ、退職してもらう。」

 

「退職・・・」

 

さすがに動揺を隠しきれない僕を気遣ってか、

少し間を置き、社長は 続けました。

 

「さっき言ったように賛成する人間もいるが、それ以上に反対する人間のほうが多くかなりの反発を食らった。 当然だよな?」

「事業計画書を見せ お前の熱意を伝え、新しい販売チャンネルとして開拓していく必要性を訴えた。」

「しかし、先のケガの件もある・通常業務もままならない状態のお前に これをやらせることに、やはり疑問と不満の声が噴出した。」

「最後は、頭を下げる形で何とか了承してもらったんだ…」

 

「それに… お前は彼女との結婚も控えているそうじゃないか。」

「何があっても頑張らなくて どうするんだ。」

 

社長としてだけでなく親心も含んだこの父の尽力に対して、

僕は胸が熱くなりました。

そして、最後にこう決断を促されました。

 

「達成できなければ 辞めることになるんだぞ。 “0か100か”ってことだ。」

「俺は最大限のことをしてやったつもりだ。 あとは、お前が決めろ。」

 

 

―『やります、やらせてください!』

 

考えるまでもなく その場で口をついて出た言葉に、

僕は、自分で自分の耳を疑ってしまいました。

 

もう一人の自分が、

「やれよ、お前ならできる!」と背中を押してくれているようでした。

 

 

『もう、やるしかない―!』

 

 

新潟南魚沼産コシヒカリのインターネット販売で、「0か100かの戦い」

『一年以内に売上100万円を達成できなければ、退職してもらう』―

 

こうして、「0か100かの戦い」に身を置くことになった僕は、

インターネット事業をスタートさせました。

 

この時、不思議と体調は 安定していました。

 

服用している薬のおかげということもありますが、

かつての大学合格以来、長い間 迷走を続けてきた中で、

ようやく「次の目標」が見つかり ヤル気に満ちた状態になったからでしょう。

 

「”熱意””ヤル気”というものは、健康にも大きな影響を与えるのだ」と再認識しました。

 

まず最初に行ったのは、「やるべきことのリスト化」です。

<掲載コンテンツについて>

・商品について

・サカキさんの経歴・バックグラウンドについて

・本人出演の動画を作成

・サカキさんのコラムを定期的に掲載

・魚沼地域について

・お客様のレビュー

 

<楽天市場出店について>

・楽天市場に出店する。

・販売促進戦略の実行。

 

そして、一つ一つ実行に移していきました。

 

 

<掲載コンテンツについて>

 

まず、サカキさんのところへ伺い取材を行うべく、

長年懇意にしている社長に 連絡をしてもらい、2人で同行することになりました。

 

挨拶を交わし 雑談した後、僕の自己紹介 そして、今回の事業の説明を行いました。

途中で”行きつけの食事処に行きたい”ということで移動し、そのお店で話の続きをすることに。

事業計画書に目を通し詳細説明を行うと、お酒も手伝ってか サカキさんは次第に饒舌になり、商品であるコシヒカリにとどまらず 日本の農業についても熱弁を振るいました。

 

すかさず ボイスレコーダーをON。

「これが、日本屈指のコシヒカリをつくる人の話か…」

見識の深さと説得力に圧倒されながら、僕は質問を重ね、話に聞き入りました。

 

気がつくと、窓の外はうっすら暗くなり、既に夕方4時になっていました。

朝10時に伺い 昼食をとりながら、あっという間に6時間が経過…

時間を忘れていました。

 

ここで 父が割って入り、

「サカキさん、また次回 お話をさせてください。」と話を止めました。

「いや~ もうそんな時間か… 遅くまで悪かったねぇ。

 

「しかし、君のこの企画、最高だよ! 俺は乗った! 何でも聞いてくれ、これから宜しく!」

 

初対面にもかかわらず エキサイトし話し足りない様子のサカキさんの この言葉が、

社交辞令ではないことが、僕にはわかりました。

 

さすがにぐったりと疲れ 運転を代わってもらい会社に戻る道中、

社長は驚いていました。

「無口な人ではないけど、あんなに饒舌なサカキさんは初めてだ。」

「お前の熱意が伝わったんだな、きっと。」

 

会社に戻り、初めての「コンテンツ作り」に取り掛かりました。

・ボイスレコーダーに録音されたものを書き起こす

・カテゴリに分ける

・コンテンツとしてまとめる

 

翌日 取材のお礼かたがたサカキさんに電話しようと思っていたところ、

それより先に連絡が入り、

「いや~ 昨日は楽しかったよ。ありがとう。あんなに興奮して色々話したのは久し振りだよ!」

「それで、まだまだ話したいことが山ほどあるんだけど、今度いつ来れる?」

 

「はい! こちらこそ 昨日はありがとうございました。 社長に代わります、ちょっと待ってください…」

 

社長からは”しばらく同行しよう”と言われていたので、すぐに電話を取り次ぎました。

そして、次のアポを取り、5日後に伺うことになりました。

 

「お前、一発目からサカキさんの心をつかんだな!」

「ホントに、あんな彼を見たのは初めてなんだよ。」

「忙しい人でな、まず連絡してもなかなかつかまらないんだよ。」

「それが、あの人からあんなに積極的にアクションがあるとは…」

「ちょっとこれは、面白いことになりそうだ。 本気でやってみろ!」

 

社長の熱量も上がっているのがわかり、僕も力が入りました。

 

こうして、連日「取材→コンテンツとしてまとめる」工程を続けました。

会社では当然ながら通常業務が優先なので、合間に行いました。

しかし、それでは時間が足りず、持ち帰りと休日返上で賄いました。

 

ただ、持病でまた倒れるわけにいかないので、薬を服用しながら仕事と休息のバランスをとり、過労ギリギリのラインまでこの作業に当たりました。

 

楽天市場に出店、インターネットビジネスの世界に『第一歩』足を踏み入れた瞬間…

―1か月後、ようやくコンテンツとして形になり、社長に見てもらいました。

・商品説明

・サカキさんの経歴・バックグラウンドについて

・新潟魚沼地域について

・サカキさんからのメッセージ

 

「これはすごいな…よくまとめたな!」

「こうして改めて見ると、彼がいかにすごい人かがわかるな。」

「よし、すぐに サカキさんに見せよう!」

 

翌日、魚沼に向かい サカキさんにコンテンツ原稿を見てもらいました。

 

「…すごいな、こりゃ! いや~よくまとめましたな!」

「しかし、俺も酒が入ってるのに なかなか凄いこと言うよな(笑)」

「これが、インターネットに載るんでしょ? 面白いね~!」

 

気さくなサカキさんは 冗談交じりに こう評価し、

ますます期待感が高まっているのがわかりました。

 

そして、サカキさんは「動画を撮る」ことも覚えていて、

こちらから言うまでもなく 申し出てくれました。

 

サカキさんのヤル気に相変わらず驚いた様子の社長は、

「動画? 何を撮るんだ?」と矢継ぎ早に進行する僕たちについていけない様子でした。

・動画撮影(田んぼに入り、コシヒカリの説明をしてもらう。)

動画作成プランを実行しました。

 

田植えのシーズンでしたので、サエキさんに実際に田んぼに入ってもらい その様子を説明する動画を撮りました。

これが、最初の動画でした。

編集は、大学時代の友人であるグラフィックデザイナーにお願いしました。

(懇意で簡単な編集は無料作成してもらいました)

 

出来上がったものは本当によくできていて、インパクトのあるものでした。

 

早速、社長に見せると

「うわーすごいな! CMみたいじゃないか。これがネットに流れるのか?! あの人スターになっちゃうな!」

 

サカキさんも

「うわーー! 俺こんなになっちゃったの?! 別人みたいだな! 」

 

こうして、皆が「未知の分野」に驚きと好奇心で呼応しながら、

コンテンツが出来上がっていきました。

 

 

<楽天市場に出店>

 

次に、まとめ上げたコンテンツをもって いよいよ「楽天市場に出店する」ステップに移りました。

 

楽天市場の仕組みについて一通り理解した後、

いつも検索で使っているヤフーのインターネットブラウザを立ち上げ、楽天市場の出店者サイトにアクセス。

 

「このコンテンツをここに貼り付けて… プレビューと… 確認して… 公開。」

「おっ! これでネットにアップされたってことなのか!?」

 

ドキドキワクワクしながら進めていきましたが、

途中で「文字の強調」「改行」など文字装飾のやり方に悪戦苦闘。

正味一週間もの時間がかかりましたが、何とか 全てのコンテンツのアップが終了しました。

 

「あぁ やっとできた・・・」

 

八木さんからもらった一言で始まった、新しい試み。

”ここで一区切りついた”達成感を、少し味わいました。

 

そして、これをもってすぐに、社長に見てもらいました。

 

「おぉ 遂にできたか! これがインターネットか、見せてくれ。」

 

”満を持して”公開されたサイトに、社長は食い入りました。

・トップページ

・商品説明ページ

・米職人サカキの経歴

・米職人サカキからのメッセージ

・本人出演の動画

・魚沼地域について

 

「…いやぁ こうなるんだな! お前が提案して考えてきたことは、こういうことだったんだな!」

「サカキさんにもすぐ見せよう!」

 

サカキさんも、興奮のなか 最高の賛辞を送ってくれました。

 

「よくやりましたな、ハハハ! これで俺もすっかり有名人だな!」

「それにしても、インターネットってのはすごいな! こらからはインターネットだな!」

「社長、新しい時代に入ったね! 息子さん、すごいね!」

「これからもどんどん情報を提供するから、一緒に頑張りましょう!」

 

―こうして 僕は、インターネットビジネスの世界に『第一歩』足を踏み入れました。

 

初の注文メール、そして 順調に売上を伸ばし…

・販売促進戦略の実行

次に、「販売サイトの修正・加筆」と「販売促進戦略」に取り掛かりました。

 

サカキさんを中心に、社長、友人、知人… できる限りの人にサイトを見てもらいました。

その評価・意見をもとに、修正と加筆の作業を行いました。

 

そして、「販売促進戦略」は 八木さんに指導を仰ぎました。

・楽天市場出店の目的は、自社サイトで本格的に販売展開するための「テスト」「データ収集」が主だということ。

(メリット)ネット通販最大手で、予め多くの見込み客がいる状態で販売できる。

(デメリット)出店手数料がかかり、相当売り上げなければ採算が合わない。

・強みは何か「差別化を図る」ことを意識する。

・「マーケティング」を勉強する。

 

これらを並行して進めていき、空いた時間をすべてこれらの実践に充てました。

 

 

―そんな中、肝心の注文は…

 

「どうだ、それから… 注文は入ったか?」

 

社長の期待とは裏腹に、なかなか吉報を伝えられない日々が続きました。

 

事業の立ち上げからサカキさんのもとに同行し

今や 社長自身も“自分事“となった仕事への期待感をひしひしと感じながら、

不安と祈るような気持ちで その時を待ちました。

 

―そして 2週間ほど経ったある日、

いつものように出勤しメール受信ボックスを開くと…

 

【注文内容ご確認メール】の文字が。

 

「ん、何だこれ… もしかして…」

 

メールを開くと、「サカキの南魚沼産コシヒカリ」の文字が出てきました。

 

「ウソ… 注文が入った?!」

 

バクバクと心臓の鼓動が早まって手が震える中、自分を落ち着かせ

マウスをスクロールさせ再びゆっくりと確認していくと…

 

『確かに… 注文だ! 注文第一号だ!』

 

興奮でもつれる足で 社長室のドアをたたき、

「社長、ついに初めての注文が入りました! 遅くなりましたが、やっとです!」

 

「本当か! やったな!」

 

この時ばかりは、固く握手をし抱擁しながら、喜びを爆発させました。

 

―これが、僕のインターネットビジネキャリアで初めての『成果』『成功体験』となりました。

 

 

ここから、ポツポツと注文が入るようになり、

 

・13万円

・27万円

・45万円

徐々に売上を伸ばしていきました。

 

社長も「このままイケそうだな、頑張ってくれ!」と、

『100万円達成』を確信した様子でした。

 

しかし、ここで 勢いが止まり頭打ちになりました。

 

この段階で「販売サイトの修正・加筆」と「販売促進戦略」できる全てを行った感があり、

「次の一手」がわからない状態となりました。

 

「あ… そうだ」

「楽天サイトが落ち着いたら連絡くれ。 次の戦略があるから」

八木さんの言葉を思い出しました。

 

「これはあくまでもスタートに過ぎないんだ…」

 

満身創痍… 楽天市場と独自サイトの並行運営で、売上達成なるか?!

「次はドメインとサーバーを取得して、独自の自社サイトを立ち上げよう。」

「楽天と並行して販売するんだ。」

・独自メインとサーバーを取得し自社サイトの立ち上げ

・楽天で得たノウハウとデータを自社サイトに生かす

・楽天市場と並行して運営

「独自ドメイン…」「サーバー…」

もちろんまったくの初体験で、用語の意味を調べるところから始めました。

ここでつまずいてしまい、

問い合わせ→トライを3日間も続け、悪戦苦闘の末 無事セット完了。

 

次に、サイトにコンテンツを入れるための「テンプレート」について。

リサーチしていくと、ピンからキリまで様々な種類があることがわかり、

その中でも検索上位表示に優位とされる「SEO対策済」のものをチョイスし、インストール。

これはうまくいきました。

 

そして、楽天市場サイトで得たノウハウに倣い

「カテゴリ」「メニュー」の設置… そして コンテンツを入れてきました。

 

そして、肝心の「販売戦略」については、

<楽天市場>

(メリット)ネット通販最大手で、予め多くの見込み客がいる状態で販売できる。

(デメリット)出店手数料がかかり、相当売り上げなければ採算が合わない。

 

<独自サイト>

(メリット)プラットフォームの影響を受けない。

(デメリット)見込み客0の状態から集客しなければならない。

この「違い」を踏まえたうえで、

消費者の行動心理に基づいた販売戦略・マーケティングを行う必要があること。

 

・検索エンジン対策(SEO)

・行動心理学に基づいたライティングスキル(文章で伝える技術)

・メールマガジン

・広告の出稿

これらを勉強しながら実践していきました。

 

特に、

・検索エンジン対策(SEO)

・行動心理学に基づいたライティングスキル(文章で伝える技術)

については、

「複合キーワード」ですぐに実践できることが多く、

(例)「コシヒカリ 販売」「コシヒカリ 通販」「コシヒカリ インターネット」…

毎日記事を更新していき、ライティングスキルも上がるという”一石二鳥”の作業として

ルーティン化していきました。

 

これらの実践が功を奏し、初月で「約15万円」の売上に。

楽天と併せて「約75万円」の売上となりました。

 

無我夢中で突っ走ってきた僕は、「数字(売上)」のことで頭がいっぱいで、

この頃になると “季節感”や“時間の感覚”を失っていました。

 

― いつものように出社して玄関掃除をしていていた ある日の朝。

 

降り始めた雪を見て”ハッ”としました。

 

「あ、雪だ… ん? 12月?!」

 

年末の繁忙期を控え、本体の業務は日毎に忙しくなっていたことにも、

ようやくここで気づきました。

 

そして… 「あの事件(脚立から転落して骨折)」を思い出しました。

 

『あっ・・・』

 

この瞬間、『もう無理だ』と悟ってしまいました。

 

繁忙期でなくても、

「本業が最優先」「休日返上でネット販売事業の実践」で

睡眠時間を削り 持病の薬を飲みながら 何とかギリギリのラインでやってきて、

やっとこの売上です。

 

「あともう少し、数十万なんだけど…」

ここで、”プツッ”と糸が切れ、急激に「元の自分」に引き戻されました。

 

― そして、12も中旬となり…

いつもより30分早く出社し、除雪作業・配送積み込み作業・伝票作成…と

通常業務の数倍の忙しさで 怒涛のように時間が過ぎ去っていきました。

 

年末に差し掛かると降雪の量も増え 除雪作業に追われる中、

忙しさはピークを迎えていました。

 

とても、自分の仕事などやっている時間はありませんでした。

心身ともに疲労が蓄積し、これまでのように「休日返上」でやろうとしても

到底無理な状態となりました。

 

…そしてとうとう、過労と持病発症で倒れ、欠勤。

 

「すべてはうまくいっている」「目標達成はできる」

こう確信していた社長は、動揺を隠しきれない様子でした。

 

翌日、気力を振り絞り這うように出社した僕に対し、

挨拶さえ話しかける人間は誰もおらず、

多忙を極める皆からの厳しく冷たい視線が向けられました。

 

・・・ここで、完全に糸が切れ、僕の心身は完全に限界を迎えました。

 

一方、販売事業の売上は「約87万円」を記録(最高記録)。

お米販売シーズンであることと、これまでの施策の成果でしょう。

 

しかし、その後 欠勤や早退が増え、

事業実践も困難になり、売上は低下。

 

このまま、約束の期限を迎えました。

 

最後の日、社長室に呼ばれました。

 

「…非常に残念だな、惜しい…」

「でも、これはビジネスだ。 “結果が全て”の世界だ。」

「すべては、お前が決めて お前が出した結果だ。」

「これから非常に厳しい道が待っていると思うが、これを糧に何とか頑張ってくれ。」

「お前なら必ず成功できると、俺は信じている。」

 

… 社長の言葉を受け止め、僕は会社を後にしました。

 

”普通に働けない男”の決断、インターネットビジネスで生きていく…

『これから どうやって生きていこう・・・』

 

父の会社で働いて 何より決定的だったのは、

『社会へ出て働くことに対して、自分自身の“限界”を知ったこと』。

 

「でも、コシヒカリのネット販売を通じて、得るものがたくさんあった。」

・インターネットビジネスというものの可能性を知った。

・商品選定~販売戦略の一通りの流れがわかった。

一方で、確かな手応えを得たことに、意欲を燃やしていました。

 

新居であるアパートのリビング。

僕は重い口を開き、妻に今回の件を報告しました。

 

「例の事業のことなんだけど… 限界まで頑張ったんだけど、ダメだった。」

「目標達成まで、あともうちょっとだったんだけど…」

 

僕の心中を察してくれているように 妻は

「…そっか、精一杯頑張ったんだもんね。」

「シゲちゃんは自分のペースでやって。 とりあえず、私が稼ぐから、大丈夫。」

一言、こう言ってくれました。

 

『結婚したばかりなのに… 本当に申し訳ない・・・』

『頑張るから!』

僕の精一杯の言葉でした。

 

それから僕は、

紙を用意し、『これからどうやって稼いでいくか』書き出し、

意識を明確にしました。

・「労働賃金(会社員として働く)を得る選択肢は無くなった。

・そうなるともう、「何か自宅で完結する仕事」「インターネットビジネスで稼ぐ」この2つしか無い。

 

そこから更に、目標設定をし、アクションプランを立てました。

やはり、急務なのは『売上金額目標の達成』でした。

『とにかく、一日も早く“0→1“を達成しなければならない』

具体的には、できるだけ早く「売上10万円/月」を達成することでした。

 

まず、PCを開き、リサーチすることから始めました。

すると、「自宅で完結する仕事」「ネットビジネス初心者がやるべきもの」として情報がまとまってきました。

・中古品販売/せどり(ヤフーオークション・楽天・Amazonなど)

・輸入品販売(ebayなど海外販売サイトから仕入→ヤフーオークション販売)

・ホームページ制作

・ライター(ウェブ記事作成)

・アフィリエイト

この中から 足掛かりとして、

即金性が高く 物販経験を生かせる「新品/中古品販売(せどり)」を始めることにしました。

 

最初はただ商品を撮影し簡単な商品説明を設定するだけでしたが、

他の出品者をリサーチ・参考にしながら、スキルを上げていきました。

【中古品販売(ヤフオク・Amazon・楽天)】

・身の回りのあらゆる不用品を出品。

・結果(売上):約130,000円/3か月間

 

やはり、コシヒカリネット販売の経験が生きました。

 

仕事から帰宅後 妻にすぐ報告すると、

「マジで?! もうこんなに稼いだんだ! インターネットってすごいんだね! 」

少ない売上でしたが、未知の分野に対して初めて「結果」を目の当たりにしリアリティを感じたようで、

とてもびっくりしていました。

・ネットビジネスで身を立てなければならない。

・とにかく、一日も早く「0→1」を達成しなければならない。

・「1円」でもいいから、一刻も早く結果を出して、「ネットビジネスでイケる」ということを見せたい。

3カ月間、この一心でした。

 

それが叶い、ひとまず肩の荷が下りたような気持ちでした。

この経験・結果をもって、「次のアクション」を考える余裕が少し生まれました。

 

初のノウハウ購入・輸入品販売の「塾」に参加した結果…

不用品が売れて無くなり、次に 同じ要領で

「売れ筋の新品アイテム」の販売/せどり」を行いました。

 

リサーチしていくと、作業効率を上げるための 「利益率が高く売れる商品を自動でリサーチしてくれるツール」の存在があることを知りました。

さっそくツールをインストールして使用したところ、いくつか高単価のものが見つかり、

今回は、「アイテムを仕入→オークション形式で出品」しました。

【中古品/新品販売(ヤフオク)】

・高利益率アイテムを中心に販売。

・「売れる商品を自動でリサーチしてくれるツール」を活用。

・結果:約270,000円/3か月間

 

ここまで、「総売上:約400,000(6か月間)」という結果になりました。

直近の結果でいえば、「このままいくと 当初の「10万円/月」を達成まであとわずか」という状態までもってくることができました。

 

「もうすぐ10万円かぁ、すごいね!」

「私は全然わからない分野だけど、実際こうやって売れるものなんだね!」

幸先の良いスタートに妻の表情は弾んでいました。

 

しかし ここで、問題が出てきました。

・まとまった利益を出すには、「売れる」「高単価」の商品を「継続的に」仕入れ販売する必要があること。

・「売れ残り」が発生し在庫を抱える場合があること。

・販売価格が仕入価格を下回る「原価割れ」が発生する場合があること。

 

最初の大きな目標として、「利益:30万円/月」を掲げていました。

しかし、考えていくと とても届かず、このままでは「副業の域を出ない」ことがわかってきました。

 

そこで 次に、同じ物販である

「輸入品販売(ebayなど海外販売サイトから仕入→ヤフーオークション販売)」に取り掛かりました。

 

そして、本格的にビジネスとして立てていくため

ここで初めて、ノウハウを会得するための「塾」に入ることにしました。

高額ではありませんでしたが、初の投資・コストになるため、熟慮しました。

 

内容は、ノウハウと共に、売れ筋で高単価の商品をリアルタイムで教えてくれるものでした。

一度の販売で1~5万円以上の利益が出せる商品がいくつか見つかり最初は順調に売れていたのですが、

塾生が多く参入していて同じ商品が多数出品されるようになり、価格競争に陥っていきました。

 

結果、原価割れと売れ残りが発生し在庫を抱える結果に。

最初のノウハウ投資ということで何とか食らいつきましたが、赤字拡大で撤退することに…

【輸入品販売(ebay仕入→ヤフオク販売)】

・F氏の塾/35,000円 に参加。

・ノウハウに従い ebay仕入れ→ヤフオク販売。(ブランド万年筆・アウトドア用品など)

・結果:約-150,000円

 

僕の実践した結論としては、

「副業として取り組むには良いが、ビジネスとしては成立しにくい。」

ということでした。

 

…輸入品販売にステップアップしたことで、

これまで出した利益が無くなり逆にマイナスになった結果に対し、

僕は妻に「報告するか否か」悩みました。

 

しかし、妻の落胆した姿を想像すると、とても耐えられませんでした。

 

「ほんの少しのマイナスだ。 大丈夫、これからだ。」

自分自身を誤魔化すとも励ますともなく、「次」へ向かいました。

 

年収1億円超! スーパーアフィリエイターとの出会いで…

「あぁ どうしよう…」

 

『インターネットビジネスで生きていく―』

この決断から、はや一年以上が経過していました。

 

ここで一度冷静になり、

「中古品/新品販売、輸入品販売(ebay仕入→ヤフオク販売)」を分析してみました。

メリット・デメリットがあり、今後も継続していく価値はあると思いました。

しかし、「ビジネスとしてやっていくのは難しい」ことがわかりました。

 

そして、この経験を踏まえ強く思ったのは、

 

『継続して収益が入る「ストックビジネス」に注力すべき』

 

ということです。

 

ストックビジネスとは、「継続的に収益を生み出すビジネスモデル」のことです。

 

「中古品/新品販売、輸入品販売(ebay仕入→ヤフオク販売)」は、「フロービジネス」つまり、商品「売り切り型」であるのに対し、

ストックビジネスでは、安定した収益を確保します。

つまり、「日々の作業が積み重なり、”0→1、1→2…と 継続した収益になる」ということです。

 

「でも、果たしてこんなジャンルがあるのか…」

 

ここで、あの 八木さんに連絡をしてみました。(”困った時の八木さん”になってしまっていましたが…)

 

これまでの経緯を一通り伝えた後、八木さんからあるジャンルの提案がありました。

 

それは、「アフィリエイト」というものでした。

 

さらに、ある人を紹介されました。

小森さん(※都合により仮名)という人で、自分と同じエリアに住んでいる方でした。

”会いたいのであれば仲介する”とのことで、連絡先を教えてもらい、

すぐにメールでファーストコンタクトをとりました。

するとさっそく、会ってもらえることになりました。

そして、すぐに意気投合。

話を聞いていると「とんでもなく凄い人」であることがわかりました。

何でも「PPCアフィリエイト」というジャンルで、「年間1億円以上稼いでいる」という…

 

「凄すぎる… こんな人がいるとは…」

“衝撃的な結果”を出している小森さんのお話に、僕はただただ あ然としました。

 

しかし、そこから親交を深め詳しく話を聞いていくうちに、

「自分に合っているビジネスモデルなのでは?」と思うようになりました。

それから、リサーチしたり彼に色々教えてもらったりと、アフィリエイトについての理解を深めていきました。

 

その中で、PPCアフィリエイトも候補として考えました。

「教えてもらえませんか?」小森さんにお願いし、漫画喫茶で一通り説明を受けました。

しかし、まったくついていけず、何度も何度も聞き返したりしているうちに

小森さんはイラつきはじめました。

僕は空気を読み「ありがとうございました。僕にはレベルが高すぎるようです。」と引きました。

 

「説明がヘタなんです」と僕をフォローしてくれましたが、

僕から見たら相当な天才肌で、かなり高度なことを尋常ではないスピードでやっていました。

 

「俺にPPCアフィリエイトは無理だな… でも、アフィリエイトは向いている。」

「よし、アフィリエイトをやってみよう!」

 

こうして、アフィリエイトジャンルへ参入することに決めました。

 

さらにリサーチしていくと、

アフィリエイトと一口に言っても 本当に色々なジャンルの案件と報酬を得るためのやり方があることがわかってきました。

 

例えば「保険」と検索して上位に表示されるサイトを見ていくと、

「うわぁ こんなサイト 俺に作れるか?!」

保険について 誰もがわかるように詳細にまとめられたページ群が表示されました。

 

「俺が入り込む余地はないんじゃないか…」

アフィリエイトについて知れば知るほど、インターネットビジネスにおいて「人気ジャンル」であり「競合がひしめいている」ように見え、

意気消沈していきました。

 

「でも、アフィリエイトに参入することに決めた。 何とかしなければ…」

 

そして、実践していち早く成果を出すための「ノウハウ商材・塾」というものがあることを知りました。

見ていくと、どれも魅力的なものに見えてきました。

しかし、高額なものになると30~50万円のものも…

 

「先のビジネスでマイナスを被った今の状況では、先行投資はできない…」

 

「落ち着け…」

 

ここで、これまでの経験を踏まえ、

「アフィリエイトをビジネスとしてやっていくための条件」を書き出しました。

・継続して収益が入る「ストックビジネス」であること。

・高単価の案件を扱うこと。

・競合が少ないこと。

 

「この条件に当てはまるジャンルは…」

 

しかし、具体的な参入ジャンルがなかなか決められないまま、時間だけが過ぎていきました。

 

この時 妻には、「”せどり”で順調にやっている」とウソをついていました。

罪悪感があったのは言うまでもありません。

 

アダルトアフィリエイトの実践 2年半もの間耐え抜き…

「どのジャンルでやるべきか…」

 

自宅でインターネットビジネスをはじめて早1年半。

迷いと焦りの中、時間ばかりが過ぎていきました。

 

そんなある日、ある一通のメールを目にしました。

【毎月30万円の報酬ゲット!】アダルトアフィリエイトとは?

この時”藁をもすがる思い”の僕は、すぐにメールを開きました。

 

食い入るように読み進めていった僕の目に飛び込んできたのは、

胸躍るようなアフィリエイトについての内容でした。

・いつの時代にも尽きることのない「人間の三大欲求のうちの一つ」を扱う「アダルトジャンル」

・一度紐づいたユーザー課金報酬は永久的に入り続けるという”サブスクリプション”「継続型ストックビジネス」

・短期間で月収100万円/月が可能。

 

『これだ!』

 

興奮で先走る気持ちを何とか抑え、読み進めていきました。

 

そこに書かれていたのは、「求めているアフィリエイト」そのものでした。

 

そして、最後にオファーがありました。

・効率的に実践し最短で成果を出すための「体系的なノウハウ」があること。

・参加費用は「159,840円」であること。

 

「これは参加したい… でも高いな… うぅ どうしよう…」

 

これまでのリサーチにより「商材・塾」といものがあり、数万~数十万かかるということは知っていました。

しかし、先のビジネスで出したマイナスのうえに このコストがかかることへの負担感と「もしこれで結果を出せなかったら?」という不安とプレッシャーに苛まれました。

 

他県からひとり、僕と一緒になるために新潟へやってきた妻。

慣れない土地と職場で 疲れた顔を時折見せていました。

それでも明るく振る舞っている姿を見て、僕はさらにこの決断に身をつまされる思いでした。

 

「でも… 他に何かネタはあるか? きっとこれは、神様からのプレゼントだ。」

「…というか、そう考えて前に進むしかない!」

直感を信じ、思い切って参加することにしました。

 

”尻に火がついた”僕は、ここからはもう、無我夢中で実践に取り掛かりました。

 

―そして、ノウハウの初期ステップである「無料ブログでの実践パート」を一通り終え

2カ月ほどが経過したある日のこと。

 

いつものようにASP(案件の取り扱い・報酬の支払いを管理している会社)の管理画面にアクセスすると…

 

新規登録者数の欄に「1」の文字が…

そしてその隣の報酬の欄には「$12」という数字が並んでいました。(※海外ASPのためドル換算)

 

「えっ?! 何?!」思わす声に出してしまいました。

 

何度も何度も報酬画面を確認しました。

 

「マジで… ついに、か!」

追い付かない実感が確信に変わった僕は、

ガッツポーズをし ようやく訪れた歓喜の瞬間に浸りました。

 

これが、

アフィリエイト実践で初の、「報酬発生の瞬間」『成功体験』となりました。

 

…しかし、この歓喜は長くは続かず、

ここからまた1年半もの間 厳しい状況に立たされることになりました。

ノウハウを実践し続けても「登録者1人」から変化がなく、「報酬数千円」の横ばい状態がしばらく続きました。

 

毎日必死でネットビジネスに取り組み疲れた様子の僕を見て

妻は「大丈夫?」と心配するようになりました。

この頃から僕は、不安とプレッシャーからか、持病がまた少し再発している状態でもありました。

 

ここで、「さすがに言ったほうがいい」と、今の状況を伝えました。

 

「そっか… でも、言っていい? いつになったら稼げるの?」

 

ついに、妻の口からは本音が漏れました。

 

「・・・」

 

僕は、握りしめた汗ばんだ手を見つめるだけで、言えることは何もありませんでした。

 

なおも ここからしばらく、

「ごめん、今月も報告できるような結果が出せなかった… 本当に申し訳ない。

「もっと頑張るから…」

頭を下げ続ける 屈辱的な状態が続きました。

 

会話も少なくなり、半年経ち1年ほどが経過したある日…

「ネットビジネス… これからやっていけるの?」

「言わせてもらうね… 何とかして外で働きに出たほうがいいんじゃない?」

 

妻はしびれを切らした様子でした。

 

「とうとう言われてしまった…」

 

僕はいよいよもう何も言うことができず、

「頼む、もうちょっとの辛抱だ」と

ただただ謝り頭を下げる日々が延々と続きました。

 

追い込まれた僕は、適応障害の症状に苦しみながらも 日夜仕事部屋に籠りました。

ただただ がむしゃらにノウハウ通りにサイト作成をし続けました。

すると、何となく”コツ”が見えてきました。

 

そうして更に実践を重ね、”量”と”質”が伴ってきたころ、

いつものようにASPの報酬画面を確認すると…

 

「登録者:5人 報酬:125ドル」の表示が…

 

「ついに10,000円超えか! イケる!」

 

ここで、ノウハウ通り愚直に実践し「イケる感覚」と「コツ」を得て、

当初のアダルトアフィリに感じていた可能性が、ようやく少し「確信」に変わりました。

 

そして、その確信は「結果」となって表れ、

5万、10万、15万… と報酬が積み重なっていきました。

 

…そして、25万円を突破。

 

帰宅した妻に一目散にこのことを伝えると、

「マジで?!すごい!」と僕に飛びついてきました。

今までの 重い空気が一瞬にして歓喜の色に包まれ、その日は祝杯を上げました。

 

「あぁ 長かった… ようやく形になったな…」

 

この時、せどり物販のことを思い出しました。

やはり、少しでも目に見える「結果」を目の当たりにすると、全然違うものだと思いました。

 

妻も、この日を境に「インターネットビジネス」「アフィリエイト」というものにようやく何か確信めいたものを感じてくれているのが、

伝わってきました。

 

自宅でインターネットビジネスをはじめて2年半。

苦節・紆余曲折の後、ようやく「人並みの」まとまった成果を手にし、プレッシャーから少し解放されました。

 

やっとここで 妻からの信頼も勝ち取り、順調に成果を伸ばしていきました。

 

脅迫観念で「ノウハウコレクター」となり、多額の借金を抱え…

アダルトアフィリエイトも軌道に乗り、「30万円/月 以上」をキープできるようになりました。

 

しかし一方、

 

「このまま アダルトジャンルだけで稼いでいけるのか?」

「他の収入の柱を立てる必要があるのではないか?」

 

不安も抱いていました。

 

「一日でも早く、もっともっと稼がなければ…!」

「100万/月に早く到達しなければ…!」

 

強迫観念へと変わり、僕を駆り立てるようになっていったのです・・・。

 

アダルトアフィリ実践の傍ら、日々稼げる系の情報を目にするにつけ、

意識が逸れていき、次第にノウハウ以外のことをやるようになっていきました。

 

「これをやれば もっと早く成果が出るのではないか?」

「今のアフィリに生かせるのではないか?」

せっかく稼いだアフィリエイト報酬を

ノウハウ商材・塾の類の購入に充てるようになっていきました。

 

しかも この時期、ネットビジネス業界界隈では投資ブームとなっていました。

 

バイナリーオプションやFXなどの投資情報が目につくようになり、

その攻略ノウハウ・高額塾にも手を出していきました。

 

不安・焦りと、

”アフィリエイト報酬がある程度入ってくるから大丈夫だ、これで更に増やせる”という、

安直で短絡的な発想が、「クセ」になっていったのでしょう。

 

特に、EAと呼ばれるバイナリーオプションやFXの自動売買システムにハマり、次から次へと購入。

しかし実際には勝てないものばかりで、損失が重なっていきました。

 

そして、ここから 短期間で「300万円超の負債」が発生することに…

 

しかも悪いことに、このタイミングで、

アダルトアフィリエイトのメインASPのひとつであるASPからの報酬未払いトラブルが発生。

大きく報酬が減少し、10万円を切る月も出てきました。

 

「こんなことが… あぁ ヤバい、どうしよう…」

 

こうして、次第に稼いだ報酬は目減りし 貯金も底をつき、数枚のクレジットカードの枠も使い果たし、

負債を返せなくなっていきました。

 

我に返った時にはもう遅く、遂には返せない日が訪れました。

そして、督促状が届きカード会社から電話が鳴るようになりました。

 

「決して妻には言えない… 何とか解決する方法はないか…」

 

カード会社に問い合わせ 何とか返済を遅らせてもらえないか頼み込んだり、全てリボ払いにしたり、

少しでも返済額を減らし 返済を遅らせる対応を取りました。

 

頼みの綱であるアフィリエイト報酬は、依然として大きく減少したまま。

狼狽し持病も悪化し、アフィリエイトを実践するどころではありませんでした。

 

「あぁ とても返済していける金額ではない…」

精神を病んでいき、状況は悪化していきました。

 

離婚・自己破産… 最悪なことが色々と頭を駆け巡り、

追い詰められ正気を失った僕がとった行動は、

親に助けてもらうということでした。

 

・・・

 

全てを告白しました。

 

これまで生きてきた中で一番の修羅場と言っていいのしょうか、

激しい叱責を受け 僕自身の全てを否定されました。

 

考えてみれば、当たり前です。

 

「深い失望感と悲しみ そして苦痛を与えてしまった…」

 

そして、妻にも、仕事から帰宅後 このことを伝えました。

 

ひどく取り乱し狼狽し 号泣していました…

 

「つい数か月前まで、初報酬を喜び、5万10万…と順調に結果を出していたよね?! どうして、そんなことに… 」

「いつになったら、安心して生活できるの?!」

 

深く突き刺さりました。

 

これほど辛いことは、ありませんでした。

 

「愛する妻をこれほど悲しませるとは、これは”罪”だ…」

 

結局、親は 「300万円」という大金を出してくれました。

しかも、無条件で。

※今でも大事にしている「300万円入っていた銀行の封筒」です。

 

『俺は、この日を決して忘れない―』

 

ここから、親はもとより 妻の信頼を取り戻すのに、相当な時間を要すことになりました。

 

アフィリエイトに戻り、とにかく当初のノウハウに立ち戻り、その実践だけに集中しました。

 

幸いなことに、そこから着実に成果を伸ばし、

20万・30万・50万円…と これまでの水準まで戻すことに成功しました。

 

そして ついに、「120万円超」の報酬を達成。

悲願の大目標である「100万円超えを達成」したのです。

 

「トータル2,500万円超」を達成するも、悲鳴を上げる心身と迷いのなか…

ただ 一方で、今後の展開を考えたとき、

先の「報酬未払い」の件や、そもそもアダルトジャンルというものが「堂々とやっていけない」という思いが、

常につきまとっていました。

 

「自分に合っている、コツも掴んだ、やればやるほど報酬になっていくだろう、しかし…」

「このままアダルトアフィリエイトだけやっていて大丈夫なのか?」

「他の収入の柱を立てていくべきなんじゃないか?」

 

これまで以上に本腰を入れて労力・リソースを投下することに、迷いと危機感が生じるなか

実践している状態でした。

 

また、”ネットビジネス疲れ アフィリエイト疲れ”ではありませんが、

眼精疲労や頭痛・腰痛など疲れが出て、パフォーマンスが下がってきた頃でした。

 

「アフィリエイトで 他に大きく稼げそうなジャンルはあるのか?」

「大きく安定的に稼げるビジネスは 何か無いか…」

「自分の性格特性に合ったもの…」

こんな思考がループし、情報をリサーチする日々になっていきました。

 

一定のアダルトアフィリ報酬売上があったので、

悪く言えば、少しそこに“逃げて”いたのだろうと思います。

どこかで、

「この売上はまだしばらく続くだろうイケるだろう。そんなに焦る必要はない…」

こう考えていたところがありました。

 

そして、一番大きかったのは、『持病(適応障害)』です。

 

お伝えしたように、高校時代に発症して以来 長年に渡って苦しめられてきました。

自宅でインターネットビジネスをはじめたのも、普通に働けないためやむを得ずやっていることです。

 

「何とかここで身を立てなければ」と 追い込み、更にそこへ借金問題が重くのしかかったことで、

知らず知らずのうちに疲労が蓄積し神経衰弱状態となり、

パフォーマンスが大幅に下がっていったのだと思います。

 

この時点で 正直、「ヤル気を出そうにも”物理的に無理”」という状態でした。

 

スタートしてからこれまで 紆余曲折ありました。

周囲の協力、そして多大な迷惑をかけながらも、

「1年半に渡って収入0」という 最低最悪なところから、ここまで 何とかやってきた。

 

周囲がどう評価するかわかりませんが、

ひとまず 自分としては、「頑張った、よくやった!」と労いの気持ちがありました。

 

とにかく「少し休ませてくれ」というのが本音でした。

 

こうして 次第に作業量も減り、

ASPの管理画面で報酬を確認するだけ、他の稼げる情報をリサーチする 日々となっていきました。

 

ただ、幸いなことに アフィリエイト報酬は順調にアップしていき、

「トータル2,500万円超を達成」

 

このように 休みつつも、「次」のビジネス・売上をつくるため 日々考え情報収集にあたっていましたが、

このタイミングで突如、世界は「コロナウィルス」によってパニックに陥りました…

 

コロナショック、投資案件への傾倒し「1000万円超」の損失…

この世界を襲う「コロナショック」により 僕は、動揺と混乱に陥り、

冷静な思考というものを失っていきました。

 

「これから世界は、どうなるのか?」

「稼ぎは? 生活していけるのか?」

 

妻も看護師という仕事柄 感染リスクと隣り合わせの状況を強いられるなか、

毎日の生活は恐怖と不安と焦りに支配されました。

 

そこへ、ネットビジネスの有力者たちがその感情を煽るように、

怒涛のように情報発信を仕掛けてきたのです。

特に、その中でもビットコインなど仮想通貨関連の情報はインパクトがあり、とても魅力的に思えました。

 

「恐怖や強いマイナス感情に支配された人間というのは、自分を見失い著しくIQが低下し 安易な行動に出るものだ」と、

今、この時を振り返ります。

 

『とにかく今すぐ 危機に備え、お金を確保しなければならない…!』

まさに、僕はこの状態でした。

そして、「自分の考えは正しい」と都合よく正当化しようとするのです。

  • 仮想通貨はこれからスタンダードになる。
  • バイナリーオプション・FXは為替であり今後もなくなるものではない。
  • 物販・アフィリエイトのように何を扱えばいいか売ればいいか、頭を悩ますこともない。
  • 為替取引は一度トレードスキルを身につければ一生稼げる。

このような情報発信者の煽りに影響され、

すっかりアフィリエイトのことなど忘れ、

仮想通貨や為替のほうに興味が移っていきました。

 

ここからまた 迷走」が始まり、

色んなノウハウ・塾・ツールの類に振り回されるようになっていったのです・・・

 

 

 

先の借金の件以来、『同じ過ちを繰り返してはならない』と常に言い聞かせてきました。

 

しかし、コロナ禍でパニックに陥り恐怖に支配されるなか、

 

「妻が感染したらどうしよう…」

「危険な仕事は近く辞め 俺が稼がなければならない…」

 

こうした焦りと恐怖心にせきたてられ、正気を失っていったのです。

 

気づけばまた、仮想通貨の購入、バイナリーオプションやFXのEAなどを

次から次へと購入していきました。

そして、何百万単位の大金を運用するようになりました。

 

しかし…

 

・画面上は増えているが実際は取引されていない

・突然サイトが飛び運営者が消え連絡が取れない

・購入したシステムはどれもこれも勝てず 問い合わせても音信普通

 

気づいた頃には 「負債総額700万円超」となり、

今まで死ぬ思いで稼いだ大事な大事なアフィリエイト報酬を、失うことになるのでした…

 

※仮想通貨の詐欺案件でした・・・

 

※FXのEA(自動売買システム)では全く勝てず損失が膨らみ…(ほんの一部です)

 

『「あれだけ心に誓ったのに・・・』

『これまでで1000万円以上の損失か・・・』

『これでもう、人生終わったな・・・』

 

 


 

―人生は短い― 何があろうと 成功しなければならない

―ここまで、僕の自己紹介にお付き合いいただき ありがとうございます。

「ちょっと普通じゃない」という意味が 分かっていただけたことと思います。

 

一言でいうなら、

「貴重な時間とお金を度重なる失敗でムダに費やし、それでも一時的には成功。 しかし、再び多額の負債を背負うことになった、転落人生」

といったところでしょうか…

 

こうやって今までのことを思い出していると、

後悔や羞恥心から吐き気・めまい・頭痛…

また適応障害の症状が出て とても苦しいです…

 

でも、「自分自身への戒め」と、

『アナタは、決して僕のようになってはいけない』という強い思いがあり、

敢えて全てをさらけ出しています。

 

教訓にして何かを感じ取っていただけたなら、嬉しいです。

 

 

ただ これは、過去の話―

 

奇跡的にも「あるキッカケ」で、

「失敗を全てチャラにして立て直すことに成功」しました。

 

今では 高いモチベーションと使命感をもって活動、

インターネットビジネスというものの醍醐味を味わいながら、

最前線で戦い続けています。

 

『チャレンジし失敗しても そこから学び、戦い続ける―』

そして、『更なる目標・高みを目指す―』

僕は、そんな人間でありたいと思っています。

 

もしかしたら 今アナタは、

かつての僕と同じような苦しみを抱え、

最悪な状況に置かれているかも知れません。

 

でも僕は、

「大丈夫です、これからです! まだ間に合いますよ!」と

自信をもってアナタの背中を押してあげることができる。

 

それは、あまりにも長い間 過酷な現実と闘い、

「天国と地獄」「歓喜と絶望」… 酸いも甘いもあらゆる経験と感情を味わってきた僕だからこそ伝えられる、『真実』があるからです。

 

『人生は短い―』 何があろうと 成功しなければなりません。

 

『インターネットビジネス』の実践により、「高確率」かつ「短時間」で「人生逆転が可能」になります。

もっといえば、「青天井の稼ぎ」 ”一個人が驚くような金額を稼げる”という、「事実」があります。

 

では、”ネットビジネスで成功するためにはどうしたらいいのか―”

 

17年以上の実践経験から導き出した、

「稼げる人」と「稼げない人」の『決定的な違い』を、

これからお伝えしていきます。

 

17年以上のネットビジネス実践経験から導き出した、「稼げない人」と「稼げる人」の『決定的な違い』とは? ~「誰も教えてくれない」真実とマインドセット~
アナタは、「資本主義」という名のゲームをプレイしている(やらされている)

僕たちが生まれてから約20年も経つと、参加させられるゲームがあります。

このゲームは、社会人として世の中に出た瞬間から強制参加で、辞退はできません。

 

それは… 『資本主義』という名のゲームです。

 

「そんなゲーム参加してない!」アナタがこう言うのだとしたら、ムリはありません。

「学校でさえ、誰も教えてくれないから」です。

でも、気づないうちに アナタは、「労働者」という役割で 参加させられています

 

そして、ゲームである以上「ルール」があり「競争」が発生します。

 

そのルールとは、「お金をより多く持つ者が勝つ」です。

逆に、「お金が無い=負けor退場」です。

 

簡単にいえば、「お金を稼がないと生活できません」ということです。

 

つまり、僕たちが生きていくためには、

「勝つ(お金を稼ぐ)ことからは逃げられない」のです。

 

自分がプレイしているゲームのルールを知らずに、勝つことができるでしょうか?

「いいカモになるのがオチ」というものです。

 

まずは、「大前提」として、このことを明確に再確認する必要があります。

 

次に、資本主義社会で勝つには、

「頭を使う=儲かる」この図式になっている、ということです。

厳しいことを言うと、頭を使わずにお金持ちにはなれないのです。

 

「頭を使う=儲かる」 この図式に則れば、

言葉は悪いですが、基本的に馬鹿が負けるようになっているとも言えます。

頭の良い人が作ったルールなんだから、彼らにとって都合が良いようにできています。

 

つまり、僕たち弱者は

「最初から“負け”がほぼ確定しているゲームを強制的にやらされている」ということです。

 

どうやったら資本主義社会で勝ち抜けるのか? ~勝利のための「2つの要素」とは?~

とはいえ、弱者でもルールをきちんと理解すれば、ゲームに勝てるチャンスはあります。

 

それは、以下の2つを意識することです。

  • 種銭(軍資金)を増やす
  • 勝率を上げる

 

【種銭(軍資金)を増やす】

 

ここで重要になってくるのが、

『稼げる金額というものは、「何をやるか?」で事前に決まっている』

ということです。

 

実際的なことでいえば、

「どの会社に就職するか」で アナタの生涯給料はすでに決まっている、ということです。

例えば、2022年の生涯給料が高い「全国トップ500社」ランキングを見てみると、

1位のM&Aキャピタルパートナーズの生涯給料11億2393万円に対して、

500位の会社になると生涯給料は2億7580万円です。

実に、「生涯で8億4000万円の差」が生まれるのです。

 

もちろん、お金が全てではないし、就職できるかどうかはわかりません。

ただ、「どの会社に就職するか」を選ぶ時点で、「アナタが今後稼げる金額の上限がすでに決まっている」

ということは知っておいた方がいいです。

 

『儲かることをやるから儲かる。 儲からないことをやるから儲からない。』

シンプルな真理です。

 

以上を踏まえて、まず押さえておかなければならないのは、

『僕たち個人が効率良く経済的自由をつかむためには、「資産形成型ビジネス」を選ぶ必要がある』

ということです。

 

資産形成型ビジネスとは、

アナタの行う作業が積み上がっていき、「働かなくても報酬が発生するモデル」のことです。

例えば、本の印税や権利収入などはそれにあたるでしょう。

 

「労働を使い捨てにせず、成果を少しずつ積み上げていく」

この発想が必要なのです。

 

逆に、できるだけ避けるべきは、「労働集約型ビジネス」です。

これは、労働に対して対価が発生するモデルを指します。

一般的なサラリーマンやアルバイトなどがこれにあたります。

・1時間働いて1000円稼ぐ。

・1ヶ月働いて20万円稼ぐ。

このモデルだと、大きく稼ぐことはできません。

 

単純計算で、2倍稼ぐためには 2倍の労働時間が必要になります。

なので、物理的上限があります

仮に、1日8時間労働なら、1日80時間働かないといけません。

「物理的に不可能だ」ということがすぐにわかります。

 

だから、アナタの年収が今の10倍になることなんて、「絶対にない」のです。

資本主義社会において、「頑張る=儲かるではない」ということです。

 

「資産形成型ビジネス」―

・労働を使い捨てにせず、アナタの行う作業が積み上がっていく

・働かなくても報酬が発生する

 

それを可能にするのが、『インターネットビジネス』です。

 

インターネットの可能性は無限大です。

知恵を絞って考え抜けば、いくらでも儲けのチャンスは転がっているのです。

 

資本主義で勝ち残るためには、

「ネットビジネスを実践して、早い段階で少しでも多くの”種銭”を確保することが重要だ」

ということです。

 

 

【勝率を上げる】

 

会社に就職して賃金労働する場合はもとより インターネットビジネスの世界においても、勝率は50%なんかよりもっと低く、熾烈な戦いが強いられるのは、言うまでもありません。

お伝えした通り、それが「資本主義」というものです。

 

だから、少しでも勝率を上げるために「努力する」必要があります

具体的には、本や教材など自分の「実力向上」につながるものに投資するのです。

「自分への投資」は、勝率をアップさせるための最も効率の良い方法です。

勝率を高めて、“ここぞ”というところでドカンと攻めれば大勝ちできます。

 

逆に、ゲームに勝てない人に限って、

・「再現性100%」

・「馬鹿でも絶対稼げる」

・「コピペをするだけで稼げる」

みたいな高額塾や高額コンサルティングに有り金を突っ込みます。

(過去の僕のように…)

 

初戦で負けが確定です…

さらに貴重な種銭も大幅に目減りさせてしまっています。

この時点で、ゲームの難易度は「鬼モード」に突入しています。

(たいていの場合、本人は自覚していません…)

 

こうして、「稼げる人」と「稼げない人」の格差がドンドン開いていくのです。

 

ここから逆転するためには、努力して「勝率を上げる」しかありません。

つまり「勝てる実力」を身につけるのです。

知識やスキルを身に着ければ、勝率が上がっていきます。

 

「実力」を身に着けた人が、最終的には「大きな利益」を手にします。

 

インターネットビジネスは、初心者でも始めることはできます。

ただ、初心者のままでは稼げません。

 

アナタの貴重な時間とお金は、「実力」が身につくものだけに集中投資することです。

遠回りに見えて、実はそれが『最短ルート』です。

 

このように、「ルールを熟知して、それを利用すれば弱者でも勝ち抜ける」のです。

 

インターネットビジネスで稼げない人は、「優先順位」を知らない(間違っている)

では、

”資本主義社会で勝ち残り インターネットビジネスで稼ぎ続けるための「実力」を上げるには、どうしたらいいのか―”

 

それには まず最初に、『本質』を学ぶべきです。

つまり、『マーケティング』を真っ先に学ぶべきです。

 

いわゆる「モノの売り方」です。

・どうすればモノが売れるのか?

・どのような心理で人はモノを買うのか?

・買わずにはいわれなくなる状況とは?

・衝動買いを誘発するトリガーとは?

・高額商品でもあっさり売れるカラクリとは?

マーケティングとは、「科学」です。

商品が売れるのにはしっかりとした理由があり、説明できるものです。

「人間の心理は普遍的なものだ」ということです。

 

つまり、この技術は、『一生モノのスキル』になるのです。

 

僕が長年ネットビジネスで成功できなかった最大の原因は、

このことを知らず、「優先順位を見誤った」ことにあります。

 

「初心者でも簡単にできる!」という謳い文句のノウハウ類に食いつき、「目先の稼ぎ」ばかりを追い求めていたからです。

・「転売/せどりなら難しいことが不要!」

・「トレンドアフィリエイトは簡単!」

・「楽天アフィリエイトなら初心者でもできる!」

・「アドセンスなら誰でもできる!」

・「SNSなら気軽にアクセスアップできる!」

・「Xアフィリエイトは初心者に向いている!」

これらはすべて「枝葉」に過ぎません。

そんなことをしているから、いつまで経っても稼げなかったのです。

 

そして、アナタが 今後、

・「Google AdSense」

・「楽天アフィリエイト」

・「トレンドアフィリエイト」

・「SEOアフィリエイト」

・「PPCアフィリエイト」

・「X(旧Twitter)アフィリエイト」

・「転売ビジネス」

・「コンテンツ販売」

何かネットビジネスに挑戦する時に、このスキルはいくらでも応用可能です。

だから、まず最初に「本質」を学ぶべきなのです。

 

また、全てのビジネスにはリスクがつきものです。

例えば、

「Google AdSense」は、アカウントが削除されたら終わりです。

「SEOアフィリエイト」は、常にGoogleのアップデートに怯え続けなければいけません。

「PPCアフィリエイト」は、Yahoo!リスティングがアフィリエイトサイトの出稿を禁止し、

多くのPPCアフィリエイターは撤退を余儀なくされました。

転売・せどりビジネスも、常にプラットフォームの規約変更に収入が左右されます。

芸能系のトレンドアフィリエイトなんかは、最悪 芸能事務所からの訴訟リスクだってあります。

 

あらゆるビジネスには一定のリスクがあります。

これは仕方がないことです。

でも、モノを売る「本質」をしっかりと学んでおけば、

仮にそれがダメになったとしても すぐにマーケットを変えて再起できるのです。

 

だから僕は、”まずマーケティングを学びましょう”と提案しているのです。

 

僕が 今になって思うのは、

  • “初心者でも簡単にできる!“という謳い文句の手法を無視して、自分の実力・スキルが向上するマーケティングを真っ先に選択し実践していれば…
  • こんな回り道をしなくて済んだのに…

ただただ、後悔の念が募るのです…

 

確かに、「すぐに数万円儲かる」という話に興味を持つ気持ちもわかります。

でも、そんな方法は長くは使えないし、どうせ稼いだところで税金が高くなるだけです。

 

重要なことは、「稼ぐこと」ではなく『稼ぎ続けること』なのです。

そのためには、まず 土台となる『マーケティング』をマスターしなければいけません。

 

『アナタの貴重な人生の時間』を、「しょうもないこと」で埋めて欲しくない…

この『優先順位を知ること』が、『インターネットビジネス成功の最短ルート』なのです。

 

ラクして稼ぎたい=人生終了

・タワーマンション高層階に住み、高級ブランドに身を包み、自宅には何台もの高級外車が並び、自由気ままなライフスタイルを満喫…

・早期リタイアを果たして 頻繁に海外旅行に出かけ、ビーチでカクテルを飲みながらノートパソコンを開き のんびりと仕事をしている…

「成功者」「お金持ち」というと、真っ先にこのようなイメージをするでしょう。

 

しかし、これはあくまで「表面上のもの」「一場面だけを切り取ったもの」で、

テレビ・インターネット・雑誌などの各種メディアを見聞きするなかで「無意識に刷り込まれたイメージ」であり、何らかの目的・意図をもった「演出」です。

 

僕は今でこそ1000万・5000万・1億・5億… と稼いでいる多くの成功者たちと付き合うようになりましたが、

彼らをよく観察していると、「ある共通点」に気が付きました。

 

それは…

 

その裏で「誰よりも努力し誰よりも仕事をしている(働いている)」ということです。

正確にいえば、「実力を高め勝率を上げる努力をしている」ということです。

そして、「出すべくして結果を出し、ビジネスを楽しんでいる」のです。

 

意外でしょうか?

成功できない人達は、この事実を知りません。

・自分も仕事なんかせず毎日のんびりと暮らしたい

・インターネットだから、奇跡のような稼ぎ方があるんじゃないか

メディアの情報を鵜呑みにする人達は、こんな風に どこからか札束が降ってくるような期待と幻想を抱きます。

しかし 残念ながら、そんなものはありません。

少なくとも、僕は出会っていません。

 

お伝えした通り、かく言う僕も 淡い期待と幻想を抱いてきました。

数えきれないほどの「カンタンに稼げる」と謳うノウハウの類を購入してきました。

投資での損失額も合わせれば、ゆうに「1千万円以上」という・・・

気づいた時には 無一文になっていました・・・

 

ただ、今になって振り返り冷静に自己分析をしたとき、

失敗の根本原因であり 本当に正さなければならないのは、

”努力しないでラクに稼ぎたい”という 安易で短絡的な「お子様思考」だったわけです。

 

当時の僕は、そんな自分に気づかず ただただ「目先のお金」をハイエナのように追いかけ、

自分自身を見失っていました。

 

しかし、やらかしてしまった過去は戻りません。

もう、「後の祭り」です。

 

アナタは こんな僕のことを、

”バカなのか? 稼ぐはずが1千万円以上も失うなんて…”

と軽蔑するかもしれません。

 

でも、人間 追い詰められ正常な思考を失うと、誰しもがこうなってしまう可能性があると思うのです。

だから、”あなたには決して 僕と同じようにはなって欲しくない…”

いや、「なってはいけない」のです。

 

「努力不要 ラクして稼げる」―

そんなものは、この世の中にありません。

馬鹿な「お子様思考」であり、まったくの「幻想」です。

 

『ラクして稼ぎたい=人生終了』

『実力を高め 勝率を上げる努力をし続ける』

 

アナタが本気で「成功したい」と思っているなら、

まずは このことをしっかりマインドセットしておくべきなのです。

 

そうすれば、

成功者の心境である ”出すべくして結果を出し、ビジネスを楽しんでいる”「フロー状態」をつくり出すことができます。

 

僕がこのブログを立ち上げた、「本当の理由」 ~お金と業界への怒り、そして使命~
世の中、お金だ!

「若いときの自分は、金こそ人生でもっとも大切なものだと思っていた。

今、歳をとってみると、まったくその通りだと知った。」

- オスカー・ワイルド(アイルランドの作家) -

 

「人生にとって健康は目的ではない。しかし、最初の条件なのである。」

- 武者小路実篤(小説家)-

 

僕にとっては、とても胸に刺さる言葉です。

 

お伝えしたように 僕は、生まれつき身体が弱く体力がなく、そのうえ家庭環境も相まって性格的・精神的にも弱い人間になってしまいました。

そこから 思春期にはコミュニケーション障害・適応障害を発症し、“普通に働けない”という 社会生活を送るうえで「ハンデ」を背負って生きていかなければならない状況に置かれました。

・いつ持病が発症するかわからない

・働きたくても働けない

・いい歳なのにお金が無い

この辛さ・苦しみは、もともと健康で元気な人には、決してわからないでしょう。

でも、「何とか生きていかなければならない」のです。

そのためには、「何としてでも、お金を稼がなければならない」のです。

 

『お金を稼ぐ―』

僕のような「マイナスからのスタート」「ハンデ」を背負った人間には、

『本当に切実な問題』としてのしかかります。

 

アナタの場合は、どうでしょうか?

 

「世の中、金じゃない」 よく聞く言葉です。

友人、恋人、家族・・・

確かにお金じゃ買えないものはたくさんあります。

 

・子どもの誕生日に残業で帰れなかった夜

・通院に付き添ってあげられなかった親

・行きたい場所ややりたいことを「来年こそ」と先送りした日々

これらすべての根底にあったのは、「お金の不足」ではなかったでしょうか?

 

だからこそ、あえて言わせてもらいます。

『世の中、お金だ。』・・・と。

 

仮に20歳の時点で2億5000万円の資産があったとします。

これは平均的なサラリーマンの生涯収入と同じくらいです。

 

つまり、20歳の時点で2億5000万円あれば、単純に「残りの人生でもう働く必要がない」ということです。

言い換えるならば、「40年という時間を手に入れたのに等しい」ということです。

40年間の労働から解放されるのです。

 

一方で、「時間」とは何でしょうか?

 

時間とは、「命」です。

時間とは、「人生そのもの」です。

 

2億5000万円あれば、自分の人生を買い戻せるのです。

 

ほとんどの人は、やりたくもない仕事を給料という名の生活費のためにやっています。

自分の「貴重な人生の時間」を切り売りして、毎月の生活費を稼いでいます。

 

・「お金がなくても幸せな人はいる」

・「お金があっても不幸な人はいる」

・「世の中にはお金で買えないものがある」

どれも嘘ではないしょう。

嘘ではないけど 真実でもありません。

 

何だかんだ言って、

資本主義社会においては、「お金さえあれば9割のことは何とかなる」のです。

 

十分なお金を稼げるようになった今、僕は身をもって心からそう思います。

お金があれば、持病があっても十分な治療を受けることができ、心配することなく生きていけます。

 

お金が全てじゃないけれど、金があれば避けられるはずの不幸やトラブルもたくさんあります。

お金があれば、やりたくない仕事をやる必要もないし、嫌いな人間と付き合う必要だってありません。

「人生を”選択”する自由が手に入る」のです。

 

だから、僕はあえて伝えたい。

『世の中、お金だ。』・・・と。

 

まずは、「金儲け=悪」という悪質な洗脳を断ち切ることが先決です。

「世の中、金じゃない」なんていう気取り屋の言うことを真に受けていたら、

一生、馬鹿を見ることになります。

 

『お金=命そのもの』であり、『お金を稼ぐ力 = 生きる力』なのです。

 

インターネットビジネスという大海原を航海するには、「羅針盤」が必要

―とはいえ、

 

”果たしてインターネットビジネスでお金を稼ぎ身を立てることができるのか?”

 

この命題を解決する必要があります。

 

そのヒント・答えは、僕が自らのキャリアを振り返り 今強く思っている事のなかにあるかもしれません…

 

それは、

”あの時 もう少し早く、僕を正しい方向に導いてくれるメンター(先生)がいてくれたら…”

ということ。

 

どん底のさなか、

ネットビジネスの専門家・先生が、「たった一言」でも 僕に何か言葉をかけアドバイスをし「正しい方向」へ導いてくれていたなら、

少しは違う状況になっていたと思うのです。

 

甘え・言い訳に聞こえるかもしれません。

 

しかし、

この広大なネットビジネスという大海原を航海するには、「羅針盤」が必要なのです。

 

持病を抱え 追い込まれるようにネットビジネスをはじめ、

更にそこから長く長く続く、苦難のいばらの道・・・

 

  • 失敗は成功のもと
  • 回り道をした人生は味わい深いものになる

こんな、どこかで聞いたことのあるフレーズは、

奈落の底に突き落とされ、真っ暗闇のなかで這いつくばっている人間には、

ただのノイズ・綺麗事でしかありません。

次第に気力を失い生きる力を失い、最悪なことも頭をよぎるようになります。

 

ただ、僕の場合、悪運が強いのか

本当にギリギリのところで成功のきっかけを掴むことができました。

「もうダメだ」と思ったところに、奇跡的に「一筋の光」が差し込んだのです。

 

それはまさに、

『ネットビジネスで成功するために必要な「環境」と「メンター(師匠)」に出会ったこと』

です。

 

ここで、

  • 成功するためのマインドセット(心構え)
  • インターネットマーケティングの理論
  • その具体的な実践

こうしたことを体系的に学びました。

 

土台ができ一本筋が通り、これまでやってきたこと全てが「整理・統合」されたのです。

”ムダではなかった・・・諦めなくて良かった・・・” 全てが報われた瞬間でした。

 

やはり、しっかりと腰を据え

『信用と実績のあるその道のプロ(先生)から学ぶことが重要であり、成功の近道である』

と再認識・痛感させられました。

 

と同時に、これまで「ネットビジネスの基礎・本質」「優先順位」というものを知らない状態でやっていたことに気づき、

「今まで稼げなかった原因」というものが、ハッキリと可視化できたのです。

「もし、未だに我流でやっていたら…」と思うと、ゾッとします…

 

インターネットビジネス業界への「怒り」・・・そして「使命」

しかし ここで、

僕自身が経験したことでもあり 多くの人が直面するであろう

大きな壁」が立ちはだかります。

 

それは、

『そもそも 信用でき再現性が高く結果を出せる、投資に値する環境とメンターに出会うことが難しい』

ということです。

 

こうした「出会い」といものが、成功するために『非常に重要なファクター』であるにも関わらず、

「まずもって出会えないうちに高額商材に散財し、撤退してしまう」という事実があります。

 

このことは まさに、僕自身が 身をもって経験してきたことです。

 

「セールスレターで言葉巧みに煽るだけ煽り、実際中を開けてみればスカスカな内容・ノウハウで結果が出るわけが無い・・・」

こんなものばかりでした。

 

「本物に出会う」のは、どこまでも続く砂浜からサファイアを探し当てるくらい、大変な作業なのです。

残念ながら、これが、ネットビジネス業界の『実態』です。

 

正直に言わせてもらえば、

僕自身が騙されてきたこの業界に、『怒り』を抑えることができません・・・

  • 大切な家族や守るべきもののために「人生の時間」を差し出して、汗水垂らして稼いだお金(命そのもの)を、そんなくだらないモノのために失って欲しくない・・・!
  • 絶対に、僕の二の舞になってはいけない・・・!

 

僕は、何度でも言います。

『お金=命そのもの』であり、『お金を稼ぐ力 = 生きる力』です。

お金は、「稼がなければならないもの」なのです。

 

だから、

  • あなたが無駄なお金を散財しなくて済むように、ネットビジネスで成功するための最短ルートをご用意したい。
  • あなたの努力が、確実に成果に結びつく情報提供をしたい。
  • 今度は、僕が羅針盤となりあなたを導いていきたい。
  • そして、愛する人達とともに 有意義な時間を過ごして欲しい。

この一心で ブログを立ち上げたのです。

 

 

アナタがこのブログを読み続けると、得られるもの

僕の話にここまで付き合っていただき、ありがとうございます。

「生い立ち・バックグラウンド」、「インターネットビジネスのキャリア」、

そして「このブログを立ち上げた“本当の理由”」と、長々とお伝えしましたが、

僕がこのサイトを立ち上げた「目的」「真意」というものがわかっていただけたのではないでしょうか?

 

綺麗事を並べた成功者の自慢話 ではなく、

泥臭く時に失敗しながらも、それでも前に進もうとする男の『リアル』を、

包み隠さずお伝えしたつもりです。

 

もしアナタが今、過去の僕のように

「失敗続きで何をやってもうまくいかない」そんな状況だとしても、

『どうか 絶望しないでほしい』―

 

『失敗も成功も散々味わってきた僕だからこそ、お伝えできる情報』というものがあります。

そして、

僕のように”時間とお金を無駄にしないために”「同じような失敗経験のある方にこそお届けしたい―」。

 

その一方で、「本物の情報」があり「本物の情報発信者」がいるのも確かです。

実際に ネットビジネスは、一個人で「とんでもない金額」を稼ぐ事ができるという「事実」があります。

 

僕はこのブログを通して、そんな『本物の情報』だけを発信していきます。

 

アナタが、ここまでご覧になって、

  • どんなに絶望的な状況でも、諦めなければ希望があるのか…
  • 自分も失敗続きだけど、やっぱりお金を稼ぎたい お金持ちになりたい…
  • でも、何をどう始めればいいか分からない…
  • もう高額な情報商材に騙されたくない…
  • もう後が無い… ネットビジネスで結果を出さなければ!
  • 本気で人生を変えたい!

いま このように思っているなら、

僕のメルマガに登録していただきたいと思います。

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これまでお伝えしてきたことは、ほんの「入口」「序章」に過ぎません。

  • ネットビジネスで成功するための「優先順位・本質」である「マーケティング」についての理解が深まり、「ムダで不毛な失敗」をしなくなる。
  • 結果、目先の稼ぎに踊らされる「情報商材ノウハウコレクター」から卒業し、騙されなくなる。
  • 実践を恐れず失敗から学び、「結果につながる確かな一歩」を踏み出せるようになる。
  • 目標に向かって自信をもって進んでいけるようになる。
  • やればやっただけ「結果として表れ」、ついには 副業収入が本業を超える可能性が 「リアリティ・実感を伴って」見えてくる。
  • 最終的に、自分の力で稼げるようになる「本物のスキル」が身につく。
  • 結果を出し自分自身が充足するだけでなく、家族の応援と尊敬を得ることができる。

このような成果を得られるとともに、

ブログでは書けない『さらに踏み込んだ話・裏話』『マル秘テクニック』『業界の最新情報』、

そして『クローズドな情報』などを、

読者さんだけに共有しています。

 

もちろん、「無料」です。

押し売りもしません。

 

ただ、

アナタが ”本気で変わりたい! 結果を出したい!”と思っているなら、

僕も本気で向き合います。

 

大丈夫です、”もう遅い”なんてことは 決してありません!

僕が証人です!

 

一緒に戦い、這い上がりましょう!

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<追伸> アナタがお金を稼がなければならない、「もう一つの理由」

最後にもう一つ、『アナタにお伝えしておきたい重要なこと』があります。

 

 

『日本はこれから貧困国になる 』―

 

こう聞くと、大袈裟だとか煽りすぎだとか思う人もいるかもしれません。

しかし、現実を直視するなら、この「未来」は決して誇張でも妄想でもありません。

冷静にデータを見れば、この日本という国がいま何に直面しているのか、はっきりと数字が物語っています。

 

例えば、実質賃金。

ここ30年、先進国の中で日本だけがほとんど伸びていません。

世界全体が豊かになっていく中で、日本人の財布だけが、ずっと据え置きのまま。

これは、経済成長のエンジンが止まっているという、厳しい証拠に他なりません。

 

街を歩けば、100円ショップがどこにでもある。

スーパーでは「おつとめ品」が目立つようになりました。

飲食店も、安さを売りにしたチェーン店が増えています。

「安くて当たり前」という空気が、もはや「日本の当たり前」になっています。

これは偶然ではなく、社会全体の構造がすでに変化している証拠です。

 

アナタ自身も、心のどこかで

”日本は本当にこのままで大丈夫なのか?” 問いかけたことがあるはずです。

この国で暮らし続けていく上で、「現状維持のままで幸せになれる」そんな根拠がどこにあるでしょうか?

 

そろそろ、僕たち一人ひとりが目を覚まさなければいけない時です。

 

国の未来を他人任せにせず、

”どうすれば生き抜けるのか?” 本気で考えるタイミングが来ているのです。

 

どれだけの人が気づいているかわかりませんが、

本当に 日本は、「ヤバい」ことになっています。

少し前まで普通だった日常、それが、今後は「贅沢」扱いされる時代に突入しつつあります。

例えば、いまや若い世代にとって、「結婚」も「子育て」も贅沢品です。

 

就職し、結婚して 子供を産み、ローンでマイホームを買って、老後は悠々自適な生活・・・

昭和の時代のステレオタイプの成功は、もはや簡単には手に入らない時代です。

少し前までは「普通」にできたはずのことが、今や経済的にハードルが高すぎることになってしまっています。

子どもをひとり育てるための費用が天井知らずに上がる一方で、手取りはまったく増えない。

 

それどころか、「結婚して子どもを持つ」という、ごく自然な人生の選択肢が、「贅沢な行為」として扱われる時代。

昨今の米の高騰もそうです。

白米ひとつとっても、すでに「贅沢」扱いされ始めています。

 

お米が家計を圧迫し、毎日食べることすら難しい家庭が増えているといいます。

”白米が贅沢?”と疑いたくなりますが、これが現実です。

安い備蓄米を買うために、何時間も行列ができている。

現時点でこの有様です。

今後数年、数十年先はもっと深刻になるのは間違いないでしょう。

 

国の経済政策を待っているだけでは、僕らの生活は守られない。

”気づいたときには遅かった”と後悔する人が、今後ますます増えていくはずです。

 

ハッキリ言いましょう。

これからは、『自分で稼ぐ力を持つ者しか生き残れない』時代に突入します。

 

人口が減少する国で経済が発展することはありえません。

これは、歴史が証明していることです。

 

いつまでも「大丈夫だろう」とタカをくくっているヒマはないのです。

「何もしない人から順番に、“普通の暮らし”すら失っていく」ということです。

 

10年先を見据えて、『今すぐ行動に移す時』なのです。

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シゲ

インターネットビジネスアドバイザー

シゲ

47年以上、色んな事情で 生きることそのものがしんどい人生を送ってきました。 ”普通に働けない”ことで、特にお金のことで長年苦しんできました。 しかし、インターネットビジネスに出会い成功を収めることができた今、経済的に苦しんでいる人達を救うべく、成功するためのノウハウをシェアしています。 ネットビジネスであれば、どんな状況からでも成功できます! 僕が証人です☆

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